ペタの哲学部屋

私ペタ(ハンネ)、が哲学を自重せずに展開していくブログです

日本語の重大なバグ

日本語の重大なバグ


哲学においてそれが言語ゲームとしての

特性がある事は軽視出来ない

ウィトゲンシュタインの論理学哲学考

略して論考と呼ばれる物があるが

あれを読み解いた日本人は殆どいないだろう

私は軽く目を通してすぐに諦めた

そもそもの問題として

元々極めて難解な文体を日本語に翻訳しているのだから

何が何なのだかさっぱり解らないのは当然で

日本語でそれを解ってしまう事自体が誤りとも思える


それはそうと本題に移るが

哲学的言語ゲームにおける

日本語の重大なバグを発見した

もしかしたら我が国はこの単純な原理を見送ってしまったが為に

哲学的命題の証明が遅れ

思想が浅い国民になってしまったのではなかろうか


今回発見したバグ

というか、言語システムとしての問題は

「意味がある」又は「意味が無い」

と言う言葉だ


そんな事になんの意味があるんだ?

そんな事にはなんの意味も無い

当たり前の様に使われている言葉だが

よく考えてみると

違和感と疑問が湧いてくる


意味とは何なのか?

と言う問題


つまり、意味の意味

と言う事になるがそれでは重言してしまい

説明になっていない


ではまずは解る事から判断していく事になる


そもそも意味とは、物体の事では無い


物理的に意味はあるわけでも

無いわけでも無いのだ

つまり意味とは物質では無く状態の事だ


では何を持ってして意味と言う言葉を使うのかを考えると


意味とは、目的に対して有益な効果が期待できる状態の事と考えられる


では目的とは何だろう

根本的な目的とは哲学的命題の本質部分であり

人はどこから来てどこに行くのか

と言うそれぞれ個人が魂で感じ取る

人生の捉え方の事と言える


もう少し解りやすくすれば

目的とは気分で決める行為の事だ


つまり目的とは

突き詰めれば「何となく」

と言う形の無い事なのだ


そこで、意味がある、意味が無い

と言う言葉の性質を考え直すと


ある、無い、とは言うものの

それは例えであり

正確には

意味をつけた、又は意味をつけない

と言う自主的な判断の事と言える


全ての事に意味がある

と言う言葉もよく聞くが

この言葉も何か変だ


そもそも、あるとか、無い

と言う事では無くて

誰かの目的次第では何かの意味をつける事もあるし

特に意味をつけない事もある


目的や意味を見失ってしまった

と言う話を聞く事があるが

実はそれは勘違いなのだ


誰かが何かに意味をつけたり

意味づけに対して蔑ろにしたりしていて

その様な根拠の無い価値観と

日本語の言語としての怪しさに惑わされてしまっているだけなのだ


何故かその様な事で悩んでしまう事が

多々あるが

言語の用法としてそもそも間違っていた

と言う事に気がつかなかったから

いつまでも言語ゲームでエラーが発生し

そのループから抜け出せなくなる


意味がある、意味が無い

と言う言葉は人を思考停止させてしまう

バグなので気をつけた方がいいかもしれない