ペタの哲学部屋

私ペタ(ハンネ)、が哲学を自重せずに展開していくブログです

理解しようとする人しない人

理解しようとする人しない人


自己についての話を聞きたがらなかった母の

原因を考えた

多分、自己を理解しようとしていないし

それと同じで他者や物事にも余り理解しようとしていない

それがそう言うもんだと値札程度に理解して

行事や予定の消化を優先する

予定が無くなると寝るかわざと予定を作る

考えない様にしてる

と言う言葉を使う事も何度かあった

ふと思った


自分は何か、何にしろ理解しなくては気が済まないし、理解に限界は無くて

常に理解し続けるのが人間の性だと思っていた

でも物事を理解しようとしない人も居るらしく、彼らは何故物事を理解しようとしないのか

そして何故自分は物事を理解しようとするのか

解らなくなってきた


側から見て非生物は何かを考えたり理解している様には見えない

けれどもそれにしても理解を経由して適切に扱われればそれこそただの砂でも粘土に変わり芸術に変わる

深い理解を経由すればおおよそ生命の無い物体ですら輝きを増し、側かも生命らしくなる

脳と言う機能を持った人間が

それらを拒否する現象

物事を理解しようとしないと言うのは逆に

何故だろう


脳科学的な検知で見れば学習による成功体験の枯渇、ドーパミンの生成プロセスの問題かもしれない

認知症等ともある程度関係ありそう


犬が芸を覚えたり散歩をするなどして

充実感を醸し出す事もあるが

大抵は暇そうに寝てて

歳を取るほどその様な傾向が目立つ

察するに犬は人間程クリエイティブな機能を持っていないので仕方なく飼い主に依存し

暇してるように見える

成長を続けようとする人間との大きな違いは

他者依存かあるいは自発的成長のシステムが稼働しているかどうかの違いだろう

理解しようとしない人も犬と同じで

やらされればやるし楽しさが解る

けれども自らそれらを組み立てようとしない


人工知能のシンギュラリティは

自己探求システムがあるか無いかの違いで変わると言われてる(はず)

人類にはこの自己探求システム

まとめると要するに哲学があるけれども

AIにはそれが無いので成長を他者に委ねている

AIが急激に成長しすぎてもSF映画みたいに困った事になりかねないが


人間にしても自己探求を許された存在は

案外少ないのかもしれない

天才は孤独だと言う偉人が居る

自己探求を進めるにつれて

未開の地について来れない人が増える

そうするとどうしても孤独になる

より深い理解者を探すのも成長段階に応じて難しくなる

神は孤独なのかもしれないし

誰かの到達を待っているのかもしれない