ペタの哲学部屋

私ペタ(ハンネ)、が哲学を自重せずに展開していくブログです

ファッションにおける補正と努力と根性

ファッションにおける補正


良い補正と悪い補正がある

テニスの王子様ミュージカルでは

原作キャラクターの

補正がかかるから原作ファンにモテモテ


嫌な思い出や嫌われてる人に近い見た目には

悪い補正がかかる

例えばトランプの娘は

美人だが、どこかトランプの面影に着目してしまう


所謂、流行の産物であり

それを操作してるのはメディア

その、捏造された流行像を利用すれば

何らかの補正がかかる


キンコン西野が嫌われがちなのを見て

個人的にはカッコいいと思っていたけれど

何かに似ている

と言う尺度で見ると

チェゲバラに似ているとイジられていて


このチェゲバラ

と言う人物像のイメージの違いにより

好き嫌いが分かれていると思われた


個人的にはチェゲバラ

なんかカッコいい革命家

と言うイメージがある


自分は

メタルギアソリッドをプレイした事があって

そう言う渋さに理解があった

だからそう言う見た目もカッコいいと

受け入れていたが


そう言う泥臭さに理解が無い場合

テロリストや凶悪犯を連想するのかもしれない


俳優ではオダギリジョーのルックスもそれに近いが

彼は俳優として多くの映画に出演しているから、その映画で作られたイメージに理解があるので

どちらかといえばキンコン西野より

オダギリジョーの方がモテそうだ


好きなファッション

好きな格好をしたい

と言うのは誰にでもあるが


他人の目を通した時

言い換えればメタ認知をした場合

そう言う悪いイメージ補正が

自分に向けられて

結果的に嫌な気持ちになってしまう


まぁとにかく

他人の目、

見た目にはそんなロジックが隠れていて

暴論では人は見た目が90%

もっと言えば 100%と思ってる人もいる

社会において

あるいはファイナンス理論においては

価値とは

>>

と言う法則がある

これは別に感情論では無くて

冷静且つドライに考えられた理論で


何を使えれば一番便利か

と言う尺度で見て

人を使えれば最強と言う事になる


まぁ当然の事

それくれよ

と言って

やるよ

と言うやり取りが成立するなら

物や金は必要無い


努力と言うのは

他人にどう見られるかで決まる

自分で努力してる気になってても

他人が認めなくては努力と呼ばれない


他人の意思は関係無く

自分を信じる力の事なら

どちらかと言うと

努力と言う言葉より

根性と言った方がしっくりくる


まず始めに根性ありき

自分の力ありきで

その次に努力

他人の目に対抗する力が必要になる


ちなみに根性とは

根っこの感情

言葉のままで

頑張る事が根性とも限らない

要するに言いたいのは

自分の心の中の事


強力な根性があれば

努力は必要無い

けれども世間は動く

負の感情や不都合も

波状攻撃を仕掛けてくる

それを避ける為にする行為が努力

そして

他人の力を好都合に使う方法が

見た目

だから見た目ばかり気にしてる奴は

自己中心的な人が多い

とは言え

誰でも人から愛されて楽に生きたい

あるいはもっと凄い事をしたい

と言う欲望は自然な感情としてある


強い根性があると

他人の標的になりやすい

だからそれを回避する為の

防御手段がファッションやルックス

と言う努力と考えられる

防御手段と言うのもバカにならなくて

宇宙服を着れば宇宙にも行ける

厚着なら寒くても平気だ

中身が大事だけど

それを守る外見も大事なんだなぁ



自分のカラオケの動画と

ミュージシャンの見た目の拘りを見て

外見への努力

ちょっとだけ頑張ろうと思ったのだった