ペタの哲学部屋

私ペタ(ハンネ)、が哲学を自重せずに展開していくブログです

思考探求報告書

思考探求報告書


昔から読み物に関して

形式的な物を好まない性分があった

新聞や教科書の様に

一定のルールに沿って書かれた内容

と言う物に対してすぐに飽きてしまうのだ


具体的且つ現実的な文章と言うのは

誰かが何かを観測した事を

より大衆的に客観的に厚化粧している様なもので

その様な物に時間を費やす価値が無いように思えてしまう


例えば人の顔がのっぺらぼうで

そこに顔の絵を描き

その絵がよくできていたからといって

その人を好きになったりはしないだろう


形式的で誰がやっても同じ様な内容の事には

あまり価値が無いように感じる


そんな中で興味を持てる物は

書き手独自の思想を感じられる物だ

例えば新聞を読む習慣は無いが

新聞の中で選ぶなら

隅っこにあるコボちゃんとか山田くん

何気無いコラムの様な部分は

少しだけ読む価値がある様に思える


技術的な利用価値を考え

新聞やニュースの内容を話題の種にするのであれば、参考にできない事も無いだろうが

会話の命題としてその様な事を選ぶのは

かえってナンセンスな気がする


昨日どこかでよく知らない誰かが何かをした

と言う自分とは関係無い言葉よりも

身近な人におはようと言われる事の方が大事だ

その様な何気無い言葉の価値の方が

人生における重要性が段違いなのだ


しかし

そんな中、では誰もが挨拶を交わす

昭和風情のある下町のような温かい生活ができるかと言えばそうでもない

けれども

文章や表現において

どこかその人らしさを感じられる物には

それ特有の人間味があり

それが大事で

その時の感じた事を深掘りし飛躍させていった物が好きだ


人生における報告書の価値として

ただ単に箇条書きの様に

どこで何があったかと言う目に見える事は

誰がやっても同じ事

知りたいのは心の内側で

何が見えて何を感じたのかなのだ


形式的なアルゴリズムで綴られた物が

多い昨今

その様な物に染まってしまわない様にしたい


そんな思いで書き物のタイトルを選ぶとして

思考探求報告書と言う言葉が浮かんだ

この様な物をコピー用紙にコピーして

人生の報告書として利用したとしたら

何かいい感じがする


あれこれ化粧しない質素な質感がいい

普通の紙に書かれたその人特有の内容

まるで手紙の様な感覚なのだろう


簡潔にまとめると

ベストセラー小説やら業務的な重要書類より

想いのこもった手紙の方が大事だよねって事