ペタの哲学部屋

私ペタ(ハンネ)、が哲学を自重せずに展開していくブログです

電気と哲学

ただの勘だが

多分

電気は物質の始まりで

あらゆる物質の正体はおそらく

電気がそれぞれ異なる条件で結晶化した結果だと思われる

それが事実だとすれば

シミュレーション仮説とも奇妙な相関性が感じられる


上記が正しかったとして

知覚しやすい痺れる様な電気は

物質をより本来の姿に近づけた結果と言える


そもそもにして

電気の本質とは何だろう

プラスやマイナスの電荷の移動が電気なのか

と言えばどちらかといえばそれは電流である

電荷の移動が見られない場合

それを電気と呼ぶには相応しくないとして

動的状態を加味して電気と呼ぶに相応しいとしたら

時間軸との掛け合いも相関性を感じ取れる

世界の真相は物質と時間の真相であり

それが電気で出来た何かなのだとしたら

やはりシミュレーション仮説との相関性が見られる


電荷の移動を哲学的に考えれば

物質が本来の行き着くべき所へと向う

と言う魂のあり方と類似している

上記の考えでは

電気の行き着く先が物質だとして

物質的である命のある人間は

逆に魂が死んだ様な状態と言える

我々は何処と無く生きていると思っているが

実は逆で死んでいる状態と言えるのかもしれない

そうだとして

いわゆる物質的な死が意味する事は

はなから死んでいた魂が散らばった状態なのかもしれない

人間の記憶が電気信号的な物だとすると

なんとなく物事を忘れていくのは

何らかの魂が消失していっているのだと言える

そんな忘れられた魂がどの様な状態にあるのかは疑問である

電気が個として結晶化している状態が命だとして

それが崩壊した時どうなるのかが疑問である

質量保存の法則は電気的エネルギーにも適応されているのだろうか

エネルギーは永久的であるのか

あるいは終末が存在するのか

終末が存在したとしてそれは一体どう言う事なのか

物質が動的であるか静的であるのか

と言う問題も

物質が厳密には動的であると思われる点で矛盾している

完全であるか不完全であるか

と言うロジック自体

比較によるパラドックスに満ちていて

言語化する事自体困難で不可能なのかもしれない

例えどの様な科学的実験をしても

それを理解する脳が人間の限界を超えているので

立証した気になる事は出来ても

本当の意味で立証するのは不可能なのかもしれない


人は不可解に対し苛立ちを覚える事があり

理解に対し優越感を覚える事がある

現実の本質がそもそも理解不能な物だとして

それを理解しようとする人間には

まるで天罰の様に苛立ちが下され

解り様が無いような事を解った気になっている人にはそれで良しと言う意味で優越感を与えられているのかもしれない


となればトドのつまり哲学の役割は

解って無くても解った様な気になる術が重要と言える

如何にしても己を騙すかは

如何にして命を保つかと言う事と同義と言える

何故なら生きていると思うから生きているのであり

実際の所真相は不明だからだ