ペタの哲学部屋

私ペタ(ハンネ)、が哲学を自重せずに展開していくブログです

優しさとは

優しさとは荒々しい波動を静めようとする精神エネルギーである


痛みを知ることで必ずしも

優しくなれるわけではない

優しさには想像と労わりが必要


そして想像と労わりは感受性から生まれる


感受性における原始的な部分の一つが

痛みである


痛みが荒々しい波動だとして

それを緩和しようと努力する事で優しさが生まれる事もある


情報社会では荒々しい波動に対し

容易にアクセス可能であり

その結果として我々は世界の残酷さを知る事になる

しかし全ての痛みを緩和する事など到底不可能である


着目した痛みのうちどれかを緩和しようとする活動も時として見られる

医者を志す場合やなんらかの施術士を志す場合

より本質的な部分に着目し

反戦、アニマルウェルフェア

環境保全

心理、ボランティア

等様々な活動があるが

痛みは生物にとって根本的にどうしようもない性質を帯びている


痛みは生物から切り離す事が出来ない宿命にある

ただ、強いて言えばAIの様な存在にはそれが可能かもしれない


完全な無痛症

且つ精神的にも完全に無痛である状況があったとしても

生物にとって極めて稀である


痛みがあるのは生きている証拠とも言える

仮に完全に無痛の状態だとしてそれが死と同義とも限らないが

痛みが生物にとって避け難い困難である事は確かであり

基本的に生きる事は痛みと隣合わせである


優しさとは荒々しい波動を静めようとする精神エネルギーであるとして

エネルギーには強弱がある

緩和しきれる賢さや大きさには個人差があり

その働き方もケースバイケースで異なる


人生が何らかの力の獲得を経験する修行だとして

優しさと言うエネルギーの鍛錬を課されてる場合が多い

人に安堵をもたらす絶対的な要因は成長であり

人間の魂は優しさの実現を必要としている