ペタの哲学部屋

私ペタ(ハンネ)、が哲学を自重せずに展開していくブログです

憎しみとは

憎しみとは


憎しみとは

怒りの発散を抑圧された状態の事


特に興味の無い人間に憎しみは持たないと言うわけでは無い

なので別に

憎まれる人間が愛されているわけでも無い


例えば、痛みとは何か

苦しみとは何かと

負の感情について考えた時は

自らがその立場を実感した上で客観視しなくては判断が出来ない


自らが痛みを自覚せずに他人の痛みを客観視した場合

ただ単に、痛いと言っている

痛そうな顔をしている

と言う類の情報しか入ってこない


何事も状況を多角的に判断し

論理的に分析しない限り本当の答えは出ない

今現在の自分の感情や状態に支配されていた場合、答えは別の物になってしまう


例えば、今雨が降っていて気持ちが沈んでいたとする

その感覚のまま

誰か別の国の人に

「今生活に困っていて不安で一杯だ

どうすればいいだろう」と相談されたとする

そんな状況だと大抵の人は

今目の前で降っている雨に影響された答えを出す

「不安は誰にでもある

今日雨が降っているけれど

その内晴れるのと同じで時間が解決するだろう」と

でも実際、別の国では雨が降らなくて困っているのかもしれないし

そのての自然現象とは何も関係ない事が問題かもしれない


何が言いたいかというと

現象の因果を探るには

それに影響しているノイズを取り払って

考えないと安定した結論を出す事は出来ないと言う事

実験環境がバラバラだと答えも変わる


その上で憎しみとは何か

と考え

誤った結論を出してしまう理由は

憎しみと言うカオス、混沌の渦に飲み込まれてしまった当事者がそのまま結論を出すと

不純物が混ざった結論になるからだ

本当の事が知りたかったら

一旦無菌状態で細かく調べなくてはならないと言う事

そして実験の準備さえ整えば

結論を出すのはそう難しくもない


憎しみとは

怒りの発散を抑圧された状態の事


怒りとは理不尽に対する正当性を主張しようとする本能の事


愛情はあまり関係ない

自己愛故に憎しみ怒るわけではない

別々の機能ではあるが

脳の神経が繋がっているから判断を間違える

と言う事


怒りや憎しみの正体は

人間に備わった基本機能の一つに過ぎない

その性質を理解しないまま抑圧すると

弊害が起こる

怒りを抑圧した結果は憎しみで

憎しみを抑圧した結果は自虐に

と抑圧を続けた結果

人は呼吸すらままなくなりやがて窒息する


脳や体は酸素を必要としている

理不尽な状態、痛みがある状態では

より多くの酸素が必要になる


溺れている者には空気が必要だが

それを溺れている者に流暢に説明してもらう事も出来ないし眺めていても助からない

かと言って焦って手を差し伸べると

引き摺り込まれてしまう

しかし

落ち着いている時に縄を作っておけばそれを使える


理屈の仕組みは大抵シンプルであるが

状況が悪化するとその事すら忘れてしまう

油断大敵

人生の苦しみはまったく油断も隙もない

何度でも騙されてしまう