ペタの哲学部屋

私ペタ(ハンネ)、が哲学を自重せずに展開していくブログです

自由意志について

自由意志について


哲学的な話で偶に聞く

自由意志と言う言葉

そもそもこれって何のことなのかよく解らなかった

そして調べてみると余計に訳が解らなくなってきたが

その原因と共に自分なりに自由意志とは何か

という事をまとめる事にした


重要な部分は

自由意志とは自由行為では無い

と言う点

自由意志について語られる時

存在する派と存在しない派に分かれ

論争が起こり

昨今は存在しない派が優勢にある用に見られる


自由意志が存在する派は

自由意志と自由行為が混同しているせいで

間違えている

と言うのが非存在派の主張

つまり自由行為そのものは当たり前に存在すると言われている

普通に考えて自由にしていい状況で

自由に行動するのは当たり前の事だ


そこで、問題なのが

そもそも意志とは何か

と言う問題だ


自由意志が存在しない派の考えとしては

何らかの意志決定には必ず

何らかの外部的要因が影響するので

本当の意味で自らがなんの影響も受けずに意志決定をするのは不可能であると言う主張だと思われる

例えば完全に無空間の状態に人が一人いたら

その人の意志がどの様に決定されるかを考えた時

物理的には何も影響を与える要素が無いのだからそこに自由意志が存在する事になるかもしれないが

そんな特殊な状況に晒されている事自体が

不自由な意志へ誘導されていると考える事も出来る


とまぁこんな風に訳が分からなくなってくるのだが

その意味が解った


より根本的な部分で

意志とは何か?

と言う問題は個人の価値観に由来すると言う点だ

そして

意志の捉え方を大別すると

「意志とは使命である」

と感じている者と

「意志とは選択である」

と感じる者に別れる


この違いは大抵幼少期からすでに現れて

一度定着すると考え方が変化し難い


1+1=2

と答える場合は使命に忠実なパターンで

1+1=それ以外の何か

と考える場合は使命に反骨的であり

選択的であると言える

既に答えが決まっている事に対しても

あえて選択肢を増やすのだから

それが選択的である事に間違いは無い


意志とは何か

と言う問題で

それが選択であると仮定した場合

自由意志は存在する事になる

何故なら例え誰もが違うと言っても

1+1=2と言う当たり前の事すら

別の答えを選択する事が可能なのだから

客観的に正しいかどうかすら関係ない

逆に言えば

意志とは頑なな使命であると考えた場合

通常の計算なら1+1=2である事は揺るがないし

偉い人が自由意志は無いって言ってるから

あるいはよく考えて納得して出した答えをそう簡単に崩そうとしないから

どうしても無いって事になる


意志とは何か

と言う答えが価値観によって

全く逆の意味になる

なのでそう言う性質を持った言葉には

パラドックスエネルギーがあって

言葉遊びが捗るってパターンなんだなぁ

思いました。


追記

そもそも

意志=使命

とした場合

自由な使命とは矛盾するが

意志=選択

とした場合

自由な選択と

矛盾しない


追記

2019 6/29

選択=それでいい

使命=それでなくては、それではダメ

と言う具合に意味を砕き

意志=選択とした場合

自由意志はあるからそれでいい

となり

意志=使命

とした場合

自由意志は矛盾しているのでそれではダメなので無い

と言った具合になる

意志とは選択と使命を含んだ

矛盾した概念であり

自由は自由

単に空白の様な概念

自由意志と言う言葉には

何も無い空白に剥き出しの意志が放り出され

魂のなんたるかについて永遠と考えさせる様な魔力がある

何かそれらしいものでなくてはならないと言う使命感と

それはそれで別にいい

と言う虚無感等が複雑に入り組んだものが意志であり

自由意志について考える事は

自分自身の根本的な意志を見つめる事とも言えるかもしれない