ペタの哲学部屋

私ペタ(ハンネ)、が哲学を自重せずに展開していくブログです

真実と誤解

この世の中には絶対的な真実も絶対的な誤解も無い、

けれども真実らしい真実と

誤解らしい誤解があるので説明していく


真実と誤解を考える時、事象を食べ物に例えると解りやすい

つまり

食べ物が消化可能で栄養になるかどうかを考えればいい


食物繊維は消化する事が出来無いのでカロリーも無い、エネルギーに変換する事が出来ないが、便通を整えたり食物のかさを増すダイエット効果がある

野菜には食物繊維意外の栄養も沢山あるが

もし食物繊維しか食べ無いとしたら

おそらく餓死するだろう

また、極端な事を言えば

プラスチックは多分食べようとすれば食べられるが、明らかに食べ物じゃ無い


事象がおおよそ真実か誤解かと言うのは

食っていいか食ったらどうなるか、と例える事が出来

物事がおおよそ理解可能か、不可能か

と言う度合いで判断出来る


世の中にはあらゆる問題や解答、言葉があるが、受け取る人間が理解するかどうかは御構い無しに発せられる言葉や表現が多い

そしてそれは理解しなくても

とりあえず食べる事は出来るし

食べさせられる事も多い


そしてそのとりあえず食べさせられる物事

これは、ほとんど真実でなく誤解であると思われる

その理論が正しいかどうか

と言うのは、ただ口に食べ物を入れればいいのではなく、味わってよく噛み砕いて判断しなくては解らない


何が言いたいかと言うと

語られる歴史、古い知識はほぼ間違いなく誤解されているであろうという事


古くなった物が食べられ無いと言うのは自然の摂理

しかしその化石の様な食べ物も

そのまま飲み込むのではなく

現代的な判断で

例えば100年前の米から科学的に酵母を取り出し、当時の酒を復元させる等

特殊な処理をすれば再現できるかもしれない


歴史というのは基本的に人から人へ伝わり

人は誤解と嘘に溢れているので

古い情報は古い程湾曲していると考えるのが妥当である

それでも現代まで価値を見出されている言葉が沢山ある

神の教えや仏の教え、偉人の教え

そういった物はそのまま言葉通り受け取っても、あまり意味が解る事では無いし

食べ物も人によってはアレルギーを起こすので必ずしも万人に必要な情報とも限ら無い


理解せずにとりあえず信じろ

と言う方針について


例えその言葉や知識が理解出来なくても

その知識に触れ続けていれば

その内理解出来る事もあるだろう

なのでとりあえず信じとけ

と言うのは教育方針として間違いとも言い切れ無い、理解出来ない生徒が多くとも

その中の誰かしらは理解に到達するであろうからだ


大学と言う場所を冷静に考えると

あれは大学教授を作る機関と考える事が出来る、ただし大学教授になれるのもなりたいと思う人もほんの一握りで、

学問の真理に進んで行く人も僅かだろう

しかし初めから学問の真理を目指す機関として大学を建設しても

生徒が殆ど来ないのが現実

なので就職先や人脈形成と言う餌を巻いて

大学教授と言う狭い門を潜る人材を探す機関と言える


有名だけど古くからある

よく解らない言葉というのは

大事な教え、それをよく解らない形のまま

とりあえずばら撒いて食わせて、その中の誰かが理解してくれればそれでもいい、と言う事なのでは無いかと思う

明らかに変型していても、勝手に変えたら誰かに怒られるかもしれない

と言う都合で、訳のわからない歴史

教え、と言うのがそのまま布教されているのが現実なのだと思う


最後に

例として徳を積むと天国に行ける

と言う考えについて解釈する


冷静に考えて早い話し、これは

得な事を積んでれば、やがて住居が豪華になる

ただそれだけの事だろう


得な事、と言うのは広い意味で物事の効率化

と言える、

そして最も効率が良いと言うのは

リターンに対してリスクが少なく

メリットに対してデメリットが少ない

そして摩擦も少ないと言う事

なので本当に得な事

と言うのは自分勝手にズルい事をする事では無く、一般的に徳を積む、徳が高い

と言う事と同義になる


幸せになりたかったらとりあえず笑い

感謝し、謙虚になり、節制する

それが比較的効率のいいやり方であり

やり方は他にも考える事ができる


とりあえずやってみて解る事もあるし

考えて解る事もある

何せ解らないまま何かを続けるのは

消化不良なので良く噛むか

いつまでも苦しむのならいっその事を考えるのを諦めてしまうのも手だ


何にせよ、水や理論は詰まらせると腐る

消化して流しやすく分解し水に流す事が大事だ