ペタの哲学部屋

私ペタ(ハンネ)、が哲学を自重せずに展開していくブログです

心技体、全人類が気付くべき事

心→技→体

この流れを誤るとろくな事にならない


初めから優れた遺伝子に恵まれた人は

体に恵まれている

なので技術を蔑ろにして落ちぶれる


初めから環境に恵まれた人は

技に恵まれる

そうなると心を見失いやすい

技に恵まれる、という事はそれだけズル賢く世渡りが出来るという事

なので技さえ獲得すれば社会的成功は容易

だから表面上は成功している用に見えるし

その様に見せる事も技の性質だ


そして心

これにはそもそも上下関係は無い

全ての生物が平等で

根本として、生きたい

と言う概念でなりたっている

あらゆる物質的差別によって見下され

表現力の無さ故に見え方が湾曲する


つまり、そもそも命とは元は無であり、純粋

純心であった心は

それぞれ生まれ育った肉体や環境によって脚色されて行く物だ


そして人は、生物は生きながらにして生まれ変わる事が出来る

細胞は実際何度も入れ替わっている

問題は心だ


表面上の成果や結果、見てくれというのは

技、体でしか無い

心を蔑ろにして、根性や技術で実行していけばどうにかなる


なので社会的成功者とてカウンセリングを受けるし、酒やドラッグにも溺れる

表面的にどうであれ、結局皆平等に苦しみと喜びの中で生きている


人間が人間を見る目、真実を見抜こうとする目と言うのは

極めれば極める程、その生物の心も見える


脳の発達と言うのは、数値的判断に留まらない無限の可能性がある

そもそもにして、人が他の動物と解り合える事自体、生物として稀な例だ

しかもそれは、表情筋や感情表現の乏しい

昆虫や植物にまで至っている


植物が好む音楽を察知し、好む栄養、環境を察知し

より良い物とする

それ程まで心を理解する、思いやる才能に恵まれた生物は他にいない


人間が持つ力として一番優れた物が心である


そして心は、確かに鍛えれば強くなる

だが鍛えているのが技術なのか体力なのかを履き違えてしまいやすい


最初に鍛えるべき心

それは表面上の技術や体力、見てくれを取り除い考える必要がある


経歴、実績、と言う客観的証拠は

技、体でしかない


心と言うのは平等で

生きたい、でも痛いのは嫌だ

誰かが痛いのは可哀想だ


と言うのが根本であり

生きて行くには他者の命を奪わなくてはなら無いという残酷と

自他の喜びがそれを癒すと言う

明暗が生物に共通している


なので真に優れた技と言うのは摩擦の少ない理

と言え

真に優れた体とはその技を活かせる肉体と言える


そして優れた心とは、偽りのない心であり

それを守り通す強さである