ペタの哲学部屋

私ペタ(ハンネ)、が哲学を自重せずに展開していくブログです

理解の理解

理解の理解


理解とは気休めだ

では気休めとは何の為にあるか

それは使う必要の無い気を休め

使うべき気を見定め

気の使い方を研ぎ澄ます為にある


気休めをしないと

気が働きっぱなしになる

無駄に働いてる負の感情を休ませてあげる

気休めが大事


筋肉が成長するのは鍛えてる時じゃない

鍛えたのちに休んでいる時だ

鍛えるのはあくまで刺激を与え

筋肉に筋肉の役割を思い出させる為だ


精神も同じで

苦しみは、心の持つ力と

その役割に気づかせる為にある


そして気がついたのちに

理解し、気休めをする事で

精神は研ぎ澄まされて成長する


生きる事はその繰り返しで

苦しみと言う修行よりも

むしろその後の気休めの方が

生き延びると言う事の本番で

ナマケモノがろくに動かずに

消費を最低限にしているのは

むしろ生きる時間を増やす

と言う目的に対して合理的だ


最も合理を追求した生物は

おそらく植物だろう

生き残る事と繁殖する事

環境を有益にする事に対して

あれほど有意義に生きてる生物も無い


だが、弱さと強さは表裏一体

植物やナマケモノ

低燃費且つ生産的

と言う強さは

非破壊的且つ利用される側

と言う弱さでもある


理解させる側の力は

破壊的且つ創造的で

良くすれば偏見や差別、誤ちを壊すが

壊すべき事を間違える事もあるし

壊される事を望む者ばかりでは無く

敵視される事もあるし

勘違いされる事もある


理解する側の力は

受動的且つ非創造的であり

理解してもらいたい

と言う需要は多いが

何を生み出すでも変化させるでも無い


理解させる側は

知恵を売りたい側と言えるが

理解する側は

買いたい側と言え

お客様がいるからこそ

知恵者は知恵に満足出来る


もしかしたら

理解の性質は

格闘技のトーナメント大会のような

仕組みになっていて

勝てば勝つ程

対戦相手に困る事になる様に

理解すればするほどに

理解させ様にも

理解してくれる人が減っていき

淘汰されて行くのかも知れない


理解者不足なのは

生まれてくるのが速すぎたからか?


なんつって


まぁ仮にそれでも切り札がある

それは魔法だ

魔法に理解は必要無い

パフォーマンスの問題だ

まだ表現の世界がある

夢の世界は無限大だ