ペタの哲学部屋

私ペタ(ハンネ)、が哲学を自重せずに展開していくブログです

生と死とアート

他人が死ぬと写真に変わる

死んだ時はショックが強くて様々な感情が渦を巻くが

しばらくすると、昔そういう人がいたと言う歴史的証拠として

そっと写真が飾られる事になる


時間軸を長く見れば、他人が死ぬという事は

どうという事でもない

肉体をもって接触可能だった人間が

写真に変わるだけだ


しかし死ぬのが自分の命だとすると一大事で

生き延びる為、より良く生きる為

良い思い出を作る為に人々は日々奮闘している

そんな大事な大事な命が

いざ終わってしまい、葬儀が終わり写真に変われば

飾られている動物のオブジェとさほど変わりない


人形を部屋に飾る人は、その人が誰かにとって大切だった場合

写真として飾られる事になり

飾る側から飾られる側に変わる


人は本来生きていない物をあたかも生きている様に見せる、という稀な性質がある


右往左往して一生懸命生きても

最終的にはオブジェに変わってしまう


人生と言うものを死生観を皮肉った芸術として捉えると何とも淡白で滑稽な物になる


言うなればこれは芸術が持つ闇の部分と言えよう


しかし逆の光も存在する

それは、今目に見える物の輝きに気づき

幸せを分かち合う事


迷走する現代アートは個性を主張するあまり

混沌と混乱を含み、生命の皮肉に走る傾向がある


なので絵葉書になるようなありふれた作品

と言う物は、軽視されてしまう傾向にあるが

そんな、明らかに美しい物を共有する

と言うのが芸術が持つ光だと思う


脚下照顧、足元に光を当てる

と言うのは、今そこにある物の美しさに感謝する事


配られたカードを悲観するのではなく

可能性に光を当てて進む事

地の底に落ちて混乱してもゲームを投げ出さずに誤魔化し、楽しみ

また光を当てて行く事


素晴らしさと滑稽さを合わせ持つ

人生と言うゲームは無限の可能性がある

きっと楽しい事は上手く工夫すればそこら中にあるのだろう


写真に変わってしまわないうちに

このゲームをやり込んで行こうと思う