ペタの哲学部屋

私ペタ(ハンネ)、が哲学を自重せずに展開していくブログです

「チーズはどこに消えた?」と「失踪アル中病棟

「チーズはどこに消えた?」

を今日読んだ

「失踪アル中病棟」

は以前図書館で少しだけ読んだ


変化は確かに怖い

しかしよく考えてみれば自分が

持っていたのは恐怖心では無い

その先に痛みしか無く

ただ傷が悪化する事を知っていただけだった

恐怖心が無かったらどうなるか

その答えはより多くの痛みを生むだけと言う事

ヘムが変われなかった理由はヘムには無い

作者がそう言う人間だと決めつけ

考えを改めなかったからだ


作者は心理学者で

心に病を持っていたからこそ

この本を書き上げ

同様の病を持つ者達は賞賛した

その病とは、贅沢病

贅沢な豚の様な暮らしの中

何か徳の高い事をしたく

同じような贅沢者に餌を与えるままごとをしていたに過ぎない

そして偽物の冒険をする

いつまでも救われるべき者を救えないまま

事を済ませていた


酒を飲み眠り

悪夢と無呼吸で目覚め

窓を開けたら

外では振り込め詐欺の被害を警告する放送が流れていた

振り込め詐欺は集団で組織化されている

しかしやっている事はニートと同じ

たかる相手を親族から別人に変え

規模を大きくしただけで

ただ被害に遭わない様に警戒する人は

自らがその種を蒔いている事に気が付かない


本質を理解しなくては

範囲、規模を大きくした所で

より多くの痛みが他のところに流れるだけだ


必要なのは変化を恐れない心では無い

生き残る手段だ


私の父は最近、若き日の栄光を再燃焼させ

棒高跳びで無闇に飛ぼうとした結果

足を壊し、より多くの痛みを抱える事になった


本質を理解した自分に出来る事は何だろう

それは贅沢者には出来なかった事

それは怪しい占いの様な事かもしれない

暗い場所に自ら光を灯し

救う価値の無いと呼ばれるような

本質的に救われるべき者を救う事


必要なのは強さ

物事を乗り越える為の実質的な体力

そして衰弱した状態を切り抜け力に変える狡猾さ


著名な心理学者がベストセラーを出版する最中

自殺未遂、アル中病棟の日記を出版する者もいる「失踪日記アル中病棟」

表があれば裏がある事

それが本質


現実とどう向き合うかだけが答えでは無い

問題はいかにして強者に勝つか

現実と言う魔物に勝つかだ

無謀に走った結果はたかが知れてる

それがリアルであればあるほどに

痛みが増す事になる

時として必要なのは

現実から逃げおおせ

虎視眈々と力を溜める狡猾さ

勝てない戦いに挑まない事は

孫子の兵法だ

逆に

宮本武蔵はそんなえせ兵法者を狩る狼

だったのかも知れないし

勝てると解っていただけかもしれない

ただ、もし伝説が本当だとしたら

彼が強者であった事は間違い無い

本人が何を思うかはわからない

強者ほど猜疑心も強く

自らの強さを疑うものでもある


依存者にとってのアルコールや薬は

贅沢者の嗜好品とは似て異なる

それは現実と言う痛みから逃れる麻酔であると言う事

だから病棟に隔離しそれを絶った所で

痛みが増し、狂い、悪化していくばかりでもある

アル中病棟の作者が求めて止まなかった事は

兎にも角にも努力が認められると言う事

実らない努力をする程傷は広がり

より多くの努力でより小さな結果になるが

やるしか無いので人生に挑戦し続ける

しかし彼の狡猾さを認めるなら彼は

自らの失態を描く悲惨で陳腐な本を出版してでも目的を達成しようとした事

その後の事は知らないが

認められたくても認めてもらえない苦痛は

自殺未遂を平然とした日常として捉えていた

妻とのエピソードに現れている

どうせ死にはしないだろう

と言う楽観が間違いである事は

実際の自殺者が証明している


ネズミや他の動物、本で言う所の単純さを持つ者は

飢餓から逃れられない場合

最終的に共食いをする

場所を変える、と言うのもある種の手段ではあるが

生き残る手段はもっと多種多様

一見して毒キノコが案外食えるかもしれないし

ルパン3世の様な狡猾さを持ってすれば

牢獄から逃れられるかもしれない

迷路にあるステーションだけが居場所では無い

その外にはもっと広い世界がある


勇気が必要なのは

勇気を持つ事で何かが可能になるが

それに気がつけないか

恐怖心を隠し嘘をついている者

つまり儲かるカウンセラーにとっての

儲かる客


そう言えば終盤のディスカッションで

正直に恐怖心を認めたのはごく少数派だった


自分に必要なのは努力して仕事をする事を

親に見せる事じゃない

親に認められる事は自分の目的ではなくて

両親の目的だ

単に親孝行で献身的な姿を見たいのだろう

でも自分は親孝行者では無い

恨みの種を植え付けられていて

時々悪夢でそれが芽吹く事を知る

不都合や苦しみが

そのまま生き延び、逃れられない事もある

しかしアル中病棟の作者がそうであるように

そんな化物を手なづける事も可能


作者は心理学者でクライアントを喜ばせる術を知っていた

それがチーズだ

そうやってネズミに餌を与える様にして

自分の陣地に読者を引き込む

人をネズミに仕立てる

皮肉がこもったある種の実験とも言える


今の自分がチーズの走り書きの様な事を書くならこうだ

借金を踏み倒しても死にはしない

死なないよりマシだし

盗まないよりマシだし

誰かを殺さないよりマシだ

仮にそれ以下だとしても

上には上があるように

下には下がある

宇宙に上下は無いので

永遠に生きる神は

最強者であると共に

永遠に死を恐れる最弱者だ


尊厳死とは何か

尊厳死

尊厳とは何か

死して尊厳が守られると言うのなら

尊厳とはそれを望む者にとっての魂と言う事になる

魂とは何なのか

それは尊厳なのだろうか

だとしたら

尊厳の無い魂に生きる価値が無いと言う事になる

価値とは何だろうか

それは魂よりも重いと言うのだろうか

それは錯覚だ

醜い罪人にも魂はある

劣悪な状況に置かれながらも生を選択する魂はある側面から見れば美しい

それが例え醜く歪んでいても

それが永遠と言うのならば神と同義だ

死を恐れる者

それが神であり

全ての存在である


だが永遠と言う呪いは錯覚だ

いずれ朽ちる

そしてその苦しみは

死を恐れ続ける最強で最弱の神が引き受ける


疑問を疑問のまま残すのはそんなに好きじゃない

誰も解らない様な答えなら尚更のこと

世の中にはそれを解ける人間がいる

人間には難しい事を理解する才能という可能性がある

疑問を突きつけているだけでは

苦しみが肥えて行くばかりだ

出来る事ならば

やらなくては

魂はそう感じている


何故物事はうまくいかないのか

何故物事はうまくいかないのか


物事がうまくいかない理由

あらゆる不都合や失敗の原因とは何なのか


その答えを持っているのは誰だろう


人は成功者の意見に耳を向けがちではあるが

大抵の場合、成功者はその答えを持っていない


成功者が語るのは自己陶酔による武勇伝でしか無く

そこに本質的な真理が含まれている事は殆ど無い


しかし、この答えはシンプルだ

物事がうまくいかない事の本質的原因は

負けるからだ 


では何故人は敗北するのか

それは戦うからだ

勝ちたい奴が勝とうとするから

負ける


成功したい人間がいるから闘争になり

価値のある何かほど

勝者が敗者から奪い取る


本来、物事はうまくいかない事ばかりでは無いが

より優れた物を手にしようとする人々が

価値のある物を独占し

より手に入りにくくしているから

時代と共に

物事の成功率が下がる


その事実を踏まえると

失敗した時にすべき事は限られてくる


それは苦痛を受け入れる事


やり方を変えると言う方法もあるが

やり方を変えた所で

より優れた何かを求めたら

あらゆる場面で闘争が発生し

運が良くなければ敗北し

苦痛を伴う事になる


どう転んでも

転べば痛い物は痛いのだ

そして誰でも運しだいで転ぶ

速く進もうとすればするほど転ぶ

何かに勝とうとするといつか負ける


謙虚になり

ただ平穏に暮らしたいと思いだせば

今度は

それを邪魔する者が現れる


つまり、人はどの道苦しむ運命なのだ

選べるのはそれに向き合う態度くらいの物で

ラッキーな事があったらそれはそれで

意味は無い

嬉しいだけだ

不運も当然あってそれはそれ

苦しいだけだ


選択によって可能になる事は限られている

どの道、出来る事をするしかないのだ

適当に散文

散文


散文と言うか何と言うか

文脈がバラバラで思った事をメモってた奴



木は果実を献げる

生きとし生きる者へ

言の葉は献げる物

伝わる者へ伝える物

生命の息吹を

大地の鼓舞を

命の始まりと終わり

その繋がりの喜びを


仏教の事


仏教には

中道を行く原始仏教と苦行林のそれがある

中道とは、別に大それた物では無い

わざわざ苦行をせずとも

私は広くゆったりとした

真ん中の広い道を進む

と言う思想の事

ただ現代ではその中道が分化しすぎて

狭い道になってしまっていて

仏教徒らしい仏教徒ほど

ありふれた真ん中の道である

中道から外れてしまっているのが現実

そんな現代社会の中道を行くには

分化する様々なカテゴリや専門性、個性を

これといって差別、特別視せずに

楽しく生きる為に様々な物へ興味を持ち 

太鼓のリズムだけで人々が踊れるように

広く、より大衆的に

春を楽しみに囀る鳥の様にあればいい


「新しい世界とは何か」

「新しい世界」

といえば、よくあるのは

あれこれこうで豊かだとか

あんな奴はダメだから生き残れないとか

裁かれる

って話があるけど

それは「新しい世界」では無い

だってそれは

そいつが勝手に頭の中で作った

古い世界だからだ

新しい世界、ってのは

そいつにとっての新しい世界だから

人によってバラバラ

つまり、新しい世界は

今や過去でない世界の事だから

そう言うのがあるような無いような

微妙な世界観ではある

今のままでいいなら新しい世界は要らない

でも

今のままでいい奴だけがこの世界に住んでる訳でも無い

それを望む奴には新しい世界を見せるべきで

そうする事によって

見せた奴も新しい世界を見れる

現実を見ろ、と言う言葉があるが

現実が何なのか、と言うのは

もはや神ですら解らない事なのでは無いだろうか

金が無いのが現実だ

金が現実だ

と言うのはあまりにも盲目だ

よっぽど金の魔力に取り憑かれて現実を見失っている

物欲の桃源郷か悪夢の世界だ

とは言え

どの道、本当の現実が何なのかは解らない


それはそうと可愛いハムスターの

スニッフたん

ギターの音に興味深々で

Dのコードを弾くと

ギターの穴の中に入って行く

ギターの中で聴くギターの音は

さぞかし音楽ホール見たいな音なのだろうなぁ

ネズミは生きるペースの違いで

周波数が人間の聴き取り方と違い

人が苦にならない音が苦痛になる事があるらしいが

ギターの音は好きなのだと思う


今の私の死生観

人間は遺伝子等の情報で紐付けされた

有機物が結合した情報体でもある

脳を含め肉体を構成する物質は

遥か昔から存在していた物質で

自然界の流れで巡りに巡って

今ある形に集合し存在として自覚している

遥か昔

原始時代に原始人が居た事や

恐竜が居た事

そう言った知識は歴史によって常識として知らされる

本当に気になって知りたくて知った訳では無い

だから知らなかった場合何を感じて生きて居たのかも解らない

けれども何となく感じるのは

多分そんな前提知識が無くとも

昔は原始人で豊かな自然があった事や

獣達が血で血を争っていたであろう事を

ある時には感じる物だと思う

言うなればそれは

前世の記憶と言っても過言ではない

占い的な前世のように農家とか偉人

と言う次元の話では無くて

もっと遥か昔から有機物として存在したであろうと言う感覚がある

食って食われてを繰り返し

生と死を繰り返し

大量の血を流し

寒空に晒されて灼熱に晒され

それこそ壮大な争いが過去から現在

未来にまで繰り返されているのだから

そう言う事があった

と言う事実は本能が覚えている

その

自分が何らかの有機物であったと言う感覚を

人間らしい形で再現すれば

人が人に生まれ変わると言う感覚にもなる

死後の世界を考え

死んだ後どうなるのか

と言う事を考えると

全くの無だ、と言うのは自分の感覚とは少し違う

要するに質量保存の法則で

物質が消滅しないで変換されている事が

常識的に解る事なので

何と言うか

今生きている中で垢とか代謝とかで

肉体の一部が日々形を変えていて

人と人や人と動物や植物

と言うのがそもそもにして循環している物で

有機物が特定の形で集まっていて

それが個として認識されているだけで

地球全体の物質も含めて自分だと言える

要するに

自分、魂と言うのは情報やシステム見たいな物で

その情報は上書きやコピーが出来て

大事な物や命、思い出、過去、未来

それが既に自分の魂の一部として分散しているとも言える

天国や地獄がどこにあるか

と言うのは常識的な範囲の自分が死んだ後の地球にあると考えるのがしっくりくる

小さな動物や植物であっても

それらがバランス良く調和し

幸せな世界なら天国だし

残酷だったら地獄だ

何にせよ

生き物を労わり幸せになると言う目的は

生きてても死んだ後どうなったとしても変わらない

ちなみに

地球が天国や地獄であると言う仮説

と離れて見ると

生命としての情報体が一定の統合性を失った場合、つまり死んだ場合

それでもどこかに天国や地獄があるとするならば

何らかの反物資的な霊のような概念が

別の次元に転移する現象を確認しなくてはならない

そこで、別次元

と言う言葉の捉え方の違いが出てくる

今まで思いつかなかった様な事が出来るようになる

と言うのもある種の別次元と言え

物理的、科学的な意味での別次元

と言う言い方と

本質的な意味が同じである可能性もある

別がどう別でどの別と別で

別別別ループになる

ループ文はプログラミングの基礎で

人間もそんな感じで頭がループしてる


上記の文章を書いた後に

人はどこから来てどこに行くのか

と言う問題で

ふと別の見解を思いついた

どこから来たでも行くのでも無く

そもそも物体には

何らかの形を作りその状態を

保とうとする性質があると言う事

磁石の粒が散らばっていたとすると

一つ一つの磁石はまとまって一つの大きな塊になる

そして磁石がくっつくのは

磁石が磁石の機能を発揮する条件が必要になる

全ての物質は特性が異なる磁石のような性質を持っていて

地球の様な条件が整うとそれがまとまって

結果的に今の状態になる

地球は

大きな宇宙の歴史と共に変化し

その変化が生き物と言う種を育てる畑の様な役割を果たし

その最中、脳を持った生物が誕生した

物体だった物が意思を持ち

動物になると

今度は選択権を持つ様になる

そしてその選択の連続が

状況に適応する為の変化を促す

意思を持った存在が増えると

意思そのものが環境になり

人は現実から想像の世界に居場所を広げ

想像の中で生きていける様に変化し

その世界に適応して行く

その中で人は自分と言う個を保とうとする

つまり、

基本的に死にたくないと考える

生きている何かであろうとするのは

それが物体の性質だからだと考える事が出来る

動物や人間としての形

考える力が無くとも

そもそも物体が何らかの形を作り、状況の変化に応じ形を保とうとしているから

必然的に人間は産まれて来ているとも思える


そこで、では何故

物体に形を作ろうとする性質があるのか

あるいはそんな性質は無いのか

あるとしたら

何故そんな性質を持っているのか

と言う疑問に行き着く

ヒッグス機構の

自発的対称性の破れ

と言う説が浮上する理由は何なのか

と言う疑問に行き着く

物体は細く、小さくすれば小さくする程

安定性を失う

消しゴムは建てる事が簡単だが

尖った鉛筆は倒れる

質量のある物体は何故か何らかの形を作ろうとする

宇宙空間で重力の影響から離れた場合

少しの力で推進力が維持される

物体が動いているのだから

はじめに動いた何かがあったのかもしれない

そこでビッグバンが想像出来るのは自然な流れだが

動きとは何かを考えると

動きは物体では無い様に思える

別の次元の何かだと考えれば

多次元がどうとかって話に繋がる

動きが無かった物に動きが発生する事が

いわゆる時間移動の一種で

死体とて完全に停止しているわけでもない

物体が存在する理由と

動作が存在する理由には何らかの繋がりがある様に感じられる

例えばビッグバンに話を戻し

ビッグバンは物体が爆発的に発生する様な現象で

その裏側の次元では時間が同時に発生又は消失している様に思える

となると

次元の消失が同時に別次元の発生になっていると考えられる

では仮に

全ての理がコインの裏表の様になっているとして

形式的な意味でなく

完全に裏でも表でも無い状態があるのかどうか

と言う疑問が湧く

対になる何かが存在しない空間は

理論的にあり得るのかどうかと言う疑問

どうもその様な構造は理解不能の様に思える

物体の対となる時間も無い

反物質でも物質でも無い

無いでも無いしあるでも無い

無いが無いしそれも無い

と言うループを終わらせる事が果たして

意思を持った存在にあるいは意思を持たない存在に可能なのだろうか

となると

死んで無の世界に行く事の方がむしろ不可能に思える

とは言えどのみち

そもそも何も無いよりは

なんか楽しい方が好きだ

春眠暁を覚えず

眠るのは気持ちがいいが

それは無では無い

でも苦しいのは嫌で

まぁその辺は普通だ

そんな感じだ


ファッションにおける補正と努力と根性

ファッションにおける補正


良い補正と悪い補正がある

テニスの王子様ミュージカルでは

原作キャラクターの

補正がかかるから原作ファンにモテモテ


嫌な思い出や嫌われてる人に近い見た目には

悪い補正がかかる

例えばトランプの娘は

美人だが、どこかトランプの面影に着目してしまう


所謂、流行の産物であり

それを操作してるのはメディア

その、捏造された流行像を利用すれば

何らかの補正がかかる


キンコン西野が嫌われがちなのを見て

個人的にはカッコいいと思っていたけれど

何かに似ている

と言う尺度で見ると

チェゲバラに似ているとイジられていて


このチェゲバラ

と言う人物像のイメージの違いにより

好き嫌いが分かれていると思われた


個人的にはチェゲバラ

なんかカッコいい革命家

と言うイメージがある


自分は

メタルギアソリッドをプレイした事があって

そう言う渋さに理解があった

だからそう言う見た目もカッコいいと

受け入れていたが


そう言う泥臭さに理解が無い場合

テロリストや凶悪犯を連想するのかもしれない


俳優ではオダギリジョーのルックスもそれに近いが

彼は俳優として多くの映画に出演しているから、その映画で作られたイメージに理解があるので

どちらかといえばキンコン西野より

オダギリジョーの方がモテそうだ


好きなファッション

好きな格好をしたい

と言うのは誰にでもあるが


他人の目を通した時

言い換えればメタ認知をした場合

そう言う悪いイメージ補正が

自分に向けられて

結果的に嫌な気持ちになってしまう


まぁとにかく

他人の目、

見た目にはそんなロジックが隠れていて

暴論では人は見た目が90%

もっと言えば 100%と思ってる人もいる

社会において

あるいはファイナンス理論においては

価値とは

>>

と言う法則がある

これは別に感情論では無くて

冷静且つドライに考えられた理論で


何を使えれば一番便利か

と言う尺度で見て

人を使えれば最強と言う事になる


まぁ当然の事

それくれよ

と言って

やるよ

と言うやり取りが成立するなら

物や金は必要無い


努力と言うのは

他人にどう見られるかで決まる

自分で努力してる気になってても

他人が認めなくては努力と呼ばれない


他人の意思は関係無く

自分を信じる力の事なら

どちらかと言うと

努力と言う言葉より

根性と言った方がしっくりくる


まず始めに根性ありき

自分の力ありきで

その次に努力

他人の目に対抗する力が必要になる


ちなみに根性とは

根っこの感情

言葉のままで

頑張る事が根性とも限らない

要するに言いたいのは

自分の心の中の事


強力な根性があれば

努力は必要無い

けれども世間は動く

負の感情や不都合も

波状攻撃を仕掛けてくる

それを避ける為にする行為が努力

そして

他人の力を好都合に使う方法が

見た目

だから見た目ばかり気にしてる奴は

自己中心的な人が多い

とは言え

誰でも人から愛されて楽に生きたい

あるいはもっと凄い事をしたい

と言う欲望は自然な感情としてある


強い根性があると

他人の標的になりやすい

だからそれを回避する為の

防御手段がファッションやルックス

と言う努力と考えられる

防御手段と言うのもバカにならなくて

宇宙服を着れば宇宙にも行ける

厚着なら寒くても平気だ

中身が大事だけど

それを守る外見も大事なんだなぁ



自分のカラオケの動画と

ミュージシャンの見た目の拘りを見て

外見への努力

ちょっとだけ頑張ろうと思ったのだった


怒りを力に変える方法

怒りを力に変える方法


私は

ありがちな

イライラした時の対処法の事を

ぶっちゃけ効かないと思っています


感情をコントロールする

よくある方法には

根本的な盲点があります


それは

願望と効果的手段を履き違えている所です


イライラしている人が

どうなって欲しいか

と言う願望がそのまま方法論になってる

ケースが多いと思います

そしてその通りにやると

むしろ余計にイライラします


例えば、嫌な事を具体的に書き出す

自分を客観的に見る

等が主流になってきますが

はっきり言って逆効果です 


怒ってる理由を具体的に書き出して

客観的に見ると自分が愚か者に見えます

その手の方法を提供する人は

怒りが愚かしい事だと思って欲しいと思っているからそういう発想になるのだと思います


怒り、悲しみ、落胆、絶望

涙、怒涛、阿鼻叫喚


結構な事じゃないですか

人間は感情の生き物なんです

せっかく湧いてきたその感情を

理性や生産性で無駄にするのはよろしくない


沢山泣いて

沢山怒ればそれが生きる力に変わります


では何故その様な負の感情が

忌み嫌われているのかと言うと

その先にある行動が不都合だからです


要するに

具体的に考えて

行動にする

これがダメなんです


負の感情の扱い方は

正の感情の扱い方の逆です


つまり、負の感情を対象するには


より抽象的に

より、非行動的に

非生産的に発揮すれば良いのです


例えば怒りの発端になる出来事が何かあったとします

その時、

何故イライラしてるのか

何にイライラしてるのか

そんな事を考えれば考えるほどドツボです


もっとデタラメに

もっともっと抽象的なイメージを働かせるのです

感情を持った生き物が

何かしら不都合があって

怒りの感情が湧くのは

当たり前の現象に過ぎません

具体的に考えると

どうでもいい事でも

人は漠然とイライラしたりするものです


だからもっと漠然と想像し

何故とか誰がとか何がとか

そんなのどうでもいいから

とにかく炎が燃え上がる事を想像するのです

何一つ具体的で無く

何一つ生産的でない

とにかくデタラメに

湧き上がる感情が燃え盛る事を楽しみましょう

行動にする必要なんて何処にもありません

イライラして怒る感情に浸っているのが

心地いいのですから

気がすむまで心の炎を楽しみましょう

何が起きて誰が馬鹿だろうが関係無いんです

だって全員馬鹿なんですから