ペタの哲学部屋

私ペタ(ハンネ)、が哲学を自重せずに展開していくブログです

余命宣告された人への提案

こんにちは

私は今別に余命宣告されてない健康体ですが

ただ何と無く空想にふける癖があるので

余命宣告されて、やってみたい事は何か

協力させてくれ、と言ってくれる人がいたとしたら何を望むかを考えた

中々いいアイデアだと思うので

もし切羽詰まった人が読んだとしたら参考にして頂きたい


以下がその内容


もしも死ぬ運命が近づいてきたら

例えばガンだとしたら辛くてリスクが大きい抗がん剤治療をするよりはモルヒネを打ちたい

そしてもし協力者がいて自分の提案を受け入れてくれるのなら

自分の人生を濃くする為の計画を実行してほしい

その計画とは

まず、自分が誰かと会う、あるいは連れてきて貰う、そして遊ぶなどして親睦を深め

自分がその人を信頼したとする

それが第一段階で

信頼の印として計画をその人に伝える

計画の第二段階は単純で

信頼してくれるなら

その証としてハグして貰うと言うもの

そして次の段階として

ハグして貰える友人が増えたら

今度は友人を集め友人同士で親睦を深め

また計画の二段階にループし

積極的な人はその人の友人も連れてきて貰う

この作業を効率良く実行すれば

手っ取り早く良い人生の集大成が出来上がり

後世に素晴らしい贈り物も出来る

宮本武蔵になりたくない

 

五輪書の解説本を少し立ち読みした
そしてその一部分だけ読んで
今この本は読みたくない、と思った

ざっくりとどう言う内容かと言うと


武蔵曰く兵法は勝つ為にある
そして出世する為にある
その為には他者より優れた部分を示す必要があり
自称武芸者が大道芸をするのは生兵法は大怪我の元だ
と言った考え

 

宮本武蔵と言えば英雄視されがちとは言え
はっきり言って殺人鬼だ

吉岡道場の50人対一人で勝ったと言う伝説があるが
要は道場稽古の偽物の剣術では
本当に人を殺し続けた狂人に敵わない
と言う事

 

さて、では本当に宮本武蔵はただの殺人鬼だったのだろうか?

この世には「ただの」殺人鬼は居ない
衣食住、人間的な部分も当然ある

 

彼は仏像を掘った
その辺りに人間性を感じる

 

何故仏像を掘ったのかは容易に想像がつく
、それは罪を償う為の儀式だ

 

彼は大量殺人を行い
その罪悪感から逃れる為に仏像を掘った
しかし実際、仏像を掘った所で
当然、死者が報われるわけでは無い

 

映画「皆さま、ごきげんよう
に出てくるシーンで
戦争で散々好き勝手悪事を働いた兵士達が
キリストの洗礼の儀式で罪を償い
平然としている描写があって
信仰心を痛烈に風刺していた

 

祈って水かぶってハイオッケー
なんて事ある訳がない
ごめんね!で済むような罪じゃない

 

それでも儀式には罪悪感から心を解放する力がある、事実とは別に
本人の心は確かに安らぐのだ

 

それと似たような理由で
宮本武蔵は仏像を掘った
罪悪感が苦しくて仕方がないからだ

 

しかし木で出来た仏像が幾ら増えた所で
死んだ人は生き返らない
仮にクローンとして再生した所で
罪は消えない

 

儀式には罪を償う力がある

宮本武蔵になりたくないと思ったけれど
その逆にはなりたいと思った

 

要するに、罪を償う儀式をしたいと思った

 

実は文化には大きな罪がある


身勝手な都合の押し付け合いで手に入れた金を使って、虐殺され続ける家畜の肉を楽して食い続ける事は明らかな罪だ

 

自然の理として、飢えに苦しむ獣は
必死に獲物を狩り、
命を繋ぐ事に全力で生きる

 

しかし文化に生きる人間はとても卑怯者なので楽をしている

けれどいくら罪深いからと言って
本当に文化を破壊したいわけでは無い

 

願望は実現すると言われているが
創作物は本当に実現してしまわない為の
儀式として扱われる事がある

取りあえず演技で済ませる
それが儀式だ

 

そして私が思うに
文化的な罪を償う儀式が
格闘技だと思っている

 

人間は動物だ、卑怯に生きる事が正義では無い、動物としての闘争本能を思い出せ
、金や権力、地位など紛い物で生きる為には拳で語るしかない、と言う事を表現する儀式だと思っている

 

儀式は偽物だからいい
現実化してしまうとより多くの罪を重ねてしまう

地球や人類が滅亡するドラマは
滅亡してほしい欲望が
偽物で解消されるから意味がある

願望を実現させない為にも
儀式は必要なのだ

 

窮屈と劣等感の意味

抑圧される事も悪い事ばかりではない

火薬を濃縮させた花火がより広く輝く様に

来たるべき時にはより多くの解放感を得る事が出来る

盛者必衰は世の常なれど

闇は光に光は闇に変わる

力の方向が負であれ正であれ

力は何かを経験し

必ず報われる

何かが何かに変わる為に

無駄な事などなにも無く

全てが動に至る礎である静を潜めている

永遠に続く幸せもなければ

永遠に続く不幸もない

全ては全てなので

一つの物も力も無い

人は優劣を気にし

他者に劣等感を押し付る

けれどもそれを受け取る人には

その人がその人として生き

その場所に居たから感じれる感性がある

誰一人として同じ人生を歩む事など出来ず

その場所に生き

その場所で感じる

その方向に進む力である事に誇りを持つ事が出来る


In to the wild


この記事は映画評論であると共に

自分の人生観も表す


In to the wild

この映画、結論からして

私はこの映画が大好きだ

ざっくりと説明するとヒッピーが旅をする映画なのだが

ヒッピー的な雰囲気が大好きだ

荒野、インディアン、鷹、大地、自然

サバイバルナイフ、強さ、野生、試練

精霊、そして何よりも、自由


そんなエッセンスがたっぷり詰まった映画だ

ネタバレしてしまって恐縮だが

この主人公は旅の果てに死ぬ

その点がこの映画の最大の醍醐味だと思う

ネタバレしたからといってつまらなくなる話なんてものは安い手品みたいな物だ

エンターテイメントは種明かしとは関係無く心を震わせる


自由、本当の自由を求めて主人公は旅をする

手垢のついた金や物の価値観では無い

自然に回帰する事によって得られる

誇り高く、苦しく、余りにも眩しい自由


そしてその自由を求めるあまり

主人公は飢えて死ぬ

心配に苦しむ家族を残して

自由を求め続けた先にある物

究極の自由は死を表している

と言うのがこの映画の最大の教訓だ


何者にも邪魔されない究極の快感と共に

夜に訪れる究極の孤独

彼は様々な素敵な経験を積むが

最大の不幸として

それを分かち合う人が居なかった


自分は割と放浪癖のような節がある

かなり親を泣かした

当たり前、と言うの概念に不服を感じ

徹底的に刃向かうタイプの人間だったので

何かと苦労をかけて来た


何かとすったもんだした結果

私は彼の様に自然に回帰する事を望んだが

辞めた

普通に寒いし、普通に腹減るし

ここ日本だし

そこで学んだ事は、別に甘えてもいい

と言う事

完全に自立した人間はもはや人じゃない

社会人は皆何かしら甘い汁をすすっている

だから日本人は日本に居たら自然に帰れない

色々と頑張ってみる

欲しくも無い苦しみをただただ買ってみる

そうして解る事は人は弱い生き物だと言う事


弱さに甘える人間は醜い

けれどもどんなに頑張っても人は人

弱く醜い蛭のような生き物


だけど強くなろうとする事は出来る

そして少しづつなら強くなれる

強さとは何か

それは人には解らない

何故なら人は弱いから


強さとは

ただ求め続ける光の事だ

その姿勢を強さと呼ぶ

卑怯に甘い汁をすすり肥る事では無い


しかし、その先にある物は

孤独な死だ


映画は映画だからいい

究極を求めて本当に究極になったら虚しいだけだ


自分はどこか文明的な冷たさに孤立感を感じる物の

文明の汁を啜れる環境をある程度良かったと思う

人の為に料理を作るのは楽しい

食材の素晴らしさを伝える為に工夫して

多少は食の有難さに気がついてもらえるからだ

しかし何かとケチをつけたがるだけの文化中毒者がそれを比較の道具にしてしまう

だからただ料理を作ればいいとも限らない

しかし堅苦しい事を言わず食卓を盛り上げる事も真の料理人と言えるのかもしれない


ただ一つ言いたい事は

誇り高き者を侮辱するのは辞めるべきだと言う事

努力をする人、強く生きる命

美しい自然

儚い心


解らない人には解らない

解ったなら次に進めばいい


汚れの無いまま生きていくのは難しい

けれどもその汚れは洗える

手遅れで純粋を汚す狂人になる前に

人は気高さを取り戻さないといけない

ホルモンと健康

今日目が覚めて、なんとなくやる気が無く
才能が発揮しきれない状態を感じた

 

感覚的な事だけど、なんというか 
何かが自分の脳や体の機能にストッパーをかけていると思った

 

そして抑制ホルモンについて調べてみると
ソマトスタチンというホルモンを見つけた

 

これからホルモンについて説明するが一応
一般人による私見で考察した事なので保証は出来ない

断っておく

 

 

ソマトスタチンが抑制するホルモンは
成長ホルモン、インスリン、グルカゴン、腸からの栄養消化


発生する場所は、脳の視床下部
すい臓 、消化管

すい臓にはランゲルハンス島と呼ばれる
細胞の集まりがある、そこにある細胞の一部がこのホルモンを放出している
丁度島みたいに様々な種類の細胞が存在していて
それぞれが共存関係になっている

つまり、インスリンが出すぎた時、グルカゴンが出すぎた時
それを抑制するために出てくるホルモンがソマトスタチン

 

成長ホルモンなんかも抑制するから、邪魔なホルモンなのかと思いそうになるけど
そういう事でもないようで

 

 

まずは、インスリンとグルカゴンの役割について説明する

インスリンもグルカゴンも血糖値を調整するホルモンだ

インスリンは血糖値を下げ
グルカゴンは血糖値を上げる

 

 

低インスリンダイエットという物がある
インスリンを摂取するダイエットと勘違いしやすいが
インスリンの上昇を抑えるダイエットの事だ
つまり、インスリンをあまり出さないようにする事がダイエットに繋がる
という原理だ

 

インスリンが増えると脂肪が増えやすく
脂肪が燃焼しにくくなる

しかしだからインスリンは悪者だ、と考えてしまうのは浅はかなようだ

 

 

そもそも、なぜインスリンが増えると脂肪がつきやすくなるのか
という事について

インスリンは血糖値を調整する為にある
血糖値が急激に上昇した場合発生して血糖値を下げる
血糖値が高い状態というのは血液がドロドロしていて
詰まらせる危険性があるため、インスリンによって血中の糖分を消化しようとする
血中の糖分を優先的に使うから、

結果として、体脂肪が燃焼しない

 

つまり、太る原因はインスリンではなく
上がりすぎた血糖値だ

 

では、今度は血糖値を下げたとしよう
体温の上昇、運動、糖分の摂取を控える等の行動を取ると
血糖値が下がる
そうすると今度はグルカゴンが分泌される

 

グルカゴンが脂肪燃焼を助け、脂肪を分解し
血糖値を上げる、 
なのでグルカゴンが分泌すると結果的に痩せる

ただ、グルカゴンが出まくればいいのか、というと
そうではない、
体脂肪を分解して血液に送り込んでいるのだが
もし、体脂肪を分解し続け、血液に送りまくると
また今度は血糖値のバランスが崩れる

 

 

つまり、
インスリンが出すぎると脂肪を溜め込み常に糖分を必要とする状態になり
グルカゴンが出すぎると血液がドロドロになって危ない、多分運動能力も下がる

 

 

そしてそれらを抑制するのがソマトスタチン
ソマトスタチンは成長ホルモンも抑制するので
分泌しなければしないでヤバイけど
なんかやる気が無くなる

 

 

丁度おせっかいな警察官みたいなホルモンだ

ソマトスタチン先輩が仕事をしなくて済むようにするには
血糖値のバランスを自らが取るという事

 

だからインスリンもグルカゴンも分泌しすぎないように
適度に血糖値を上げ、適度に血糖値を下げ

意識的にバランスを取ればいい

 


激しい運動で血糖値が下がるので
運動後はバナナ等のおやつを食べる

 

ここまで来れたらバナナをやる!

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急激な過食が血糖値を上げるので
ゆっくり噛んで食べる

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というのが結論

幸、不幸の定義

前回、罪悪感という物が劣等感+羞恥心
という考えに至った

そして罪という物は生きている以上
逃れる事は出来ない

罪悪感、という物は人生において
人の精神において、本質的でとても重要な要素だと思った

 

つまり、人生における不幸とは
罪悪感の事で、幸せとは
その逆と考える事が出来る

 

罪悪感という物が羞恥心と劣等感の総称と仮定して

ならばその逆は何か 

おそらくそれは充実感

充実感が幸せな人生の要素で
罪悪感が不幸な人生の要素と考えられる

 

では充実感とはどういうものか

罪悪感の逆と仮定するので

罪悪感の要素である劣等感と羞恥心の逆が
充実感の要素と考えられる

 

なので充実感とは

優越感+誇り(自尊心の獲得、プライド)
で構成されていると思う

つまり人の精神という物は、人生という物は

罪悪感(劣等感+羞恥心)
又は
充実感(優越感+誇り)

で構成されていると考えられる

 

罪悪感と充実感というものは
丁度昼と夜のように交互に現れて
切り離す事は出来ない

充実感の要素である優越感や誇り
という物は
他人からみると嫉妬の対象になる

 

そもそも、優越感、という物が
他人より自身が優れているという感覚なので
なんらかの要素で他人に優位性を主張されると
人はそれ以上の快感を求めて否定する

なので人は、偉そうにしている人
プライドが高い人
という物を否定する
否定を通す事によってより強固な優越感が得られると感じるからだ
いうなればこれは食欲のような物で自然な感覚と言える
充実感を感じていても誰かに疎まれ
あるいはそのように感じ
自動的に人は罪悪感を感じ始める

 

そして優越感とセットになっている誇り
という感情

重要なホルモンはそれが足りない時
それに近い二の矢で対応する事が多い
優越感と誇りという物は
男性ホルモンでいうテストステロンとジヒドロステロンの関係に近い

軽く説明すると
テストステロンというのは男性的な要素を構成するホルモンで
筋肉を成長させたり脂肪を燃焼させたりする
勝利という感覚に深い関係があって
男として充実している場合、このホルモンが多い傾向にある

そしてジヒドロステロンは
基本的にはテストステロンと同じ働きをするホルモンであるが
健康な人体が優先的に使いたがるのはテストステロン
しかし、実際、人生勝ちまくりで充実して過ごせるかというと
そうでも無い
そういう時補う要素として発生するのがジヒドロステロン

このようにホルモンというのは状況に応じて使い分けをしている
丁度、米が無いならパンを食い
パンもないなら蕎麦を食う
そんな感じで対応するように人体は作られている

 

この、ホルモン、と言うものは
食材でいう所の炭水化物に近い
美味しいご飯や美味しい小麦を使っても
調理、工夫しない事にはそこまで美味しくならない

だから自動的に発生するホルモンを
思考によっていかに調理するか
という事がいかに良い人生を生きるかに繋がる

 

よって、罪悪感も充実感も
生きていれば自動的に発生し
管理しないと腐ると言え
調理を工夫すると輝く

罪悪感にしろ、充実感にしろ
調理の技術次第でより良いものに変える事ができる

 

罪悪感と充実感は一まとめにした
抽象的な表現なので、実際はあらゆるバリエーションがある

ただ、その食材の性質を知ることによって
調理はより創造的で深い物に変えられる

 

罪悪感、罪
罪と罰はセットになっている
罪の意識を感じた時点で
人は裁く人が居なくても
自動的に自分で自分を裁く

 

優越感も結局は罪の性質を持っているので
結局人は自らを裁く

例えばポテトチップスのような
カロリーが高く、手軽に食べられるお菓子
人は不幸になるとやけ食いする事があるが
簡単に買える物を簡単に食べて
食べ過ぎると、人は興奮し、快感を得る

やろうと思えば簡単に快感は過剰に得ることが出来る
ただし、本能は、深層意識はそれを良しとはしていない
圧倒的な優越感は自身にとって不当である
という事はちゃんと本能が感知している

 

当たり前の事だ
食べ物は作られる以前
圧倒的な苦痛と作業の上で成り立っている
金を使ったからといってそれを粗末に扱う事など
許されている訳がない

つまりは劣等感という罪の意識によって
過食や横暴といった罰を自らに課しているといえる

充実感にせよ罪悪感にせよ
結局は因果応報
原因と結果によって発生する感覚で
潔癖はありえない

 

優れた調理師が家に居れば
農家は野菜さえ渡せばを工夫してもらい
芸術的な料理を食べられる

人生のパートナーとして優れた調理師が居るとは限らない
だから調理の仕方を解らないまま
食材を与えられ腐らせてしまう場合は多い

例えば針を千本飲ます
という罰があったとして

工夫さえすれば針千本分の鉄分を補給すれば
その罪は償えるかもしれない

 

ようするに幸福も不幸も
その性質と調理の仕方しだいという事かもしれない

罪と共に

永遠に続く昼と夜が交差し
人の罪は自然に溶け込み
渦を巻く
その罪は夜風となり葉擦れさやけき
灼熱に照らされて青空に帰る
そしてまた欲望は産まれ罪になり
罪は自然と風化する
その渦はガラス細工の模様として
影と太陽に照らされ続ける
私は
罪を喰らい誇らしく生きる
そんな獣でありたい

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー↑詩↓解釈

生きていれば色んな事に後悔する

劣等感や羞恥心

詩やポエムなんかも所謂

黒歴史等と呼ばれて羞恥心を駆り立てる

罪悪感はそれらをまとめた物と考えられる(罪悪感=劣等感+羞恥心)

心の状態、人の生き方にあらゆる病名を作って

人は治そうとする

けれども自然的に考えれば

罪という物はあって当たり前

宇宙に浮かぶ地球に

太陽の光と宇宙の闇が高速で交差する事を想像すれば

罪悪感は消毒されて生きる本能に変わる気がしてくる

人は他の動物に比べて賢く文化が発達していて

それを嘆く必要は無いが

人を動物意外の高尚な物と考える驕りが人を駄目にする

人間は動物だ

だったら強く生きたい