ペタの哲学部屋

私ペタ(ハンネ)、が哲学を自重せずに展開していくブログです

健康考察~酸素や酸化ストレスについて

腰痛がしんどくて現在ダウンしてる私ですが

色々調べたり考えたりして解ってきたのでまとめます
間違っている可能性はありますし情報ソースは多岐に渡り
独自の研究データは無く
あくまで私見で自分が理解した事のまとめです

まず、酸化とは、対象とする物質が電子を失う化学反応の事
らしいです

疑問その1、
筋肉は電気で動くみたいだけど
電池に相当する部分って体のどこにあるのだろう

答え
細胞その物が電池に相当する仕組みがある
電池は電荷の移動を利用しエネルギーを作る
そして細胞が運動する理由は
電荷を帯びた原子=イオン
が浸透圧(特定の物質だけ通貨させる現象)
を利用しイオンを移動させ、
結果的に電池と同じようにエネルギーを発生させる

発光ダイオードが発光する原理は
半導体という特定の電子のみ通貨させる物質に
電流を流し、+と-の電子をそれぞれ抽出し効果的に衝突させる事によって
発光させています
普通の電球や蛍光灯は半導体を経由せずに
無理やり衝突させるため効率が悪いですが
電子を衝突させ発光させる点は同じです

中々複雑ですが
とにかく、エネルギーの発生は
こういった違う性質の物体の相互作用で起きている
というイメージがあります

酸化、という現象に話を戻すと
細胞の酸化は運動の結果と考えると合点がいきます

健康科学ではよく酸化が老化や痛み等の不調の原因と
される話をよく聞きますが
化学的な私見で見ると
酸化という現象そのものはむしろ
生きる上でエネルギーを発生させる根本的な役割があると考えられます

健康における害悪とされる酸化は
酸化ストレスと呼ばれ
細胞の酸素還元サイクルが乱れ活性酸素が悪影響を及ぼしている
状態とされています

丁度この「酸化ストレス」という状態は
発光ダイオードのように正常に働いていた細胞が
電球や蛍光灯のように電荷移動が乱れ
熱や浪費を発生させている状態
というイメージを私は持ちました

酸素カプセルが健康に良かったり
酸素を吸う事は快適になるのに
酸素が害悪というのは疑問に思いましたが

低酸素状態だと、むしろ細胞は酸化を加速させるらしいです
酸化ストレスはあくまで細胞内で起きる乱れであって
呼吸に必要としている酸素とは直接関係はないようです

多分酸素供給が足りない状態では
細胞が無理やりエネルギーを発生させようとして
細胞の酸化現象が加速するのではないかと思います

細胞が酸化ストレス状態になると
炎症ホルモンが分泌され痛みが発生します

これは酸化ストレス状態が続くと
細胞が破壊されていき死んでしまうので
その危険信号と考える事ができます

酸化ストレス状態というのは
酸素還元がスムーズにされていない状態と考えられます


ではいかにして酸化ストレス状態から抜け
酸素還元をスムーズにするかという事を考えます

よく活性酸素を除去するために
抗酸化作用のある栄養を摂取するといいとされていますが

それは、結局の所、
腫れた水ぶくれから水を抜いているような物で
ガス抜きのように一時的な対処にすぎないと考えられます
勿論、ガスが溜まった状態を放置する訳には行かないので
マメな対処は必要です

重要なのは、なぜガス漏れしやすい状態になっているのか
という事とその修復です

酸化ストレスが発生しやすい状況として
酸素供給が足りない事が原因の主と考えられます

ではなぜ酸素供給が足りなくなってしまうのか

酸素消費の原因は激しい運動や
人体で最も燃費を必要とする脳のストレスによる物が多いです
なので精神的な安定や疲労回復が重要なのは当たり前ですが

肉体が回復するには臓器の働きで
有害物質を無毒化し排出し、
還元能力の高い健康な細胞に作り変える必要があります


ストレス等で発生する有害物質の一部に
アセチアルデヒドという物質があります
これはタバコ、排ガス等に含まれる汚染物質で
肝臓でアルコールを分解する再にも発生し
酢酸に無害化しきれない場合
二日酔いや悪臭の原因になります


アセチアルデヒドの分解を促進させる栄養素として
Nアセチルシステインという物があります

また
細胞を酸化ストレス状態にすると
炎症ホルモンや細胞を分解する酵素が分泌され
椎間板変性を引き起こすらしいです
しかしNアセチルシステインを投与した場合
炎症ホルモンや分解酵素が抑制されるらしいです

これらから共通する点を考え合わせると
アセチルアルデヒド等の有害物質が
酸素還元能力を低下させ
肉体の老化を促進させ炎症や疲労、痛み
といったあらゆる弊害を引き起こすという仮説がたちます


そして最後に
対策として考えられるのが
酸素還元の邪魔をする有害物質の排泄と
摂取を控える事
酸化ストレス状態に陥らないように
酸素供給を十分に取り
抗酸化物質、Nアセチルシステイン
有害物質の分解を助ける栄養の摂取
各種臓器の代謝能力の向上と妨げる要素の排除
というのが考えられます


また、酸化ストレスは激しい運動や
逆に動かなすぎても引き起こるので
酸素還元や有害物質の代謝を高める為に
緩やかな動作の運動をする事も有効と考えられます

遅さを活かす套路(とうろ)の考え方

遅さを活かす套路の考え方


何かとスピードが求められる昨今ですが

急がば回れ、遅い事にも利点があるので

その事について考えます


まずどんな時速さを求められるか

例えばネット回線

これは速い方がいいですね

遅いとイライラします


他には電車とか車とか

予定があるなら尚更ですね

これも速い方がいい


制約事とか配達とか

これも遅いとイライラします


では逆の立場で考えてみましょう


自分が配達される側でなく

配達する側だった時

電車に乗る側でなく電車そのもの

ネット利用者でなくネット回線そのものだったとしたら


この場合は遅い方がいい

そもそも人は電車や光の速さで進めないし

他人は速くして欲しいと思っていても

自分は自分のペースで生きていたい

と言うのが本音


つまり

速度と言うのは客観的な概念と言える


人は速い物を見たり利用した時

凄いなぁとか快適だと感じる


スポーツカーもバイクもジェットコースターも、あくまで速いのは自分ではなくて

乗っている乗り物が速く進んでいるから

気持ちよくなる

自分が凄くなったみたいに同化して感じられる


ではそんな速い乗り物から降りた時

客観から主観にシフトした時はどうすればいいのか


主観として残っているのは

速い物や優れている物への欲求

憧れ

でも現実的には

SFアクション映画の様に

凄まじい力は発揮できない


そんな残っている願望を

活かす方法

それが「套路」(とうろ)の考え方

です


套路と言うのは太極拳とかでやってる

ゆっくりと動く型の事です

これが非常に理にかなっていていい


部屋が散らかってる

食器洗わなきゃ

あれしなきゃ

これしなきゃ

凄くなりたい


でも

やる気が無い

体力が無い

時間がない


「時間」がない


この点はおかしい


「時間」は、ある

時間を活かせない

と思い込んでいるだけだ


何故、

時間を活かせないと思い込んでしまうのか


それは周りの素速い何かと比べて

自分が遅いと感じているからだ


比べるのを辞めればいい

そうすると時間がある事

時間が使える物と言う事に気がつく


たっぷりある時間を主観的に感じれば

ゆっくりと、着実に

正確に、完璧な動作

完璧な気の流れに寄り添う事を

自分に許す事が出来る

そして完璧な所作なら

結果的にスピードも上がる



自分を高める

理想に近づけると言う行為において

他人や速さ、プレッシャー、

障害物と言った物は

足枷になる


ただ障害物は何故障害物になるのかというと

素速く進んでいるからに他ならない


障害物レースで

順位もタイムも気にしなければ

何も難しい事は無く

立ち止まって障害物が具体的に何なのかを調べる事も出来る


出来ないような事

めんどくさい事も

ゆっくりと気の向くままになら

着実に消化する事が出来る


その時、時間は敵でなく

味方に変わる


絶望について本気出さず考えて見た

絶望的な状況だと

他人の苦労話とか方法論がクソみたいに思えてくる


絶望にも幸福にも

原因と結果があると言えるが

悪い結果が誰のせいなのかは解らない

少なくとも自分だけのせいでは無いし

特定の誰かだけのせいでも無い

あらゆる環境的要因が相互作用を引き起こしてそれを何らかの結果として自覚している


ようするに

なっちまった事も

なっちまう事も仕方がない

なら考えるべきは

今どうすれば少しでもマシになるか

と言う事


怪我してて不健康で辛い人が

健康的な人に

アドバイスを求めたとして

健康的な人が毎日走ってたら

真似するべきかと言ったら

明らかにやるべきでない


ただし絶望的な状況の人は

藁にもすがる思いで

自分とは違う状況の人の真似をしようとしてしまう


仮に足が骨折してたら

大人しくしてるべきなのは明らかだ

なのに文章や方法論には需要があって

人は誰かを参考にして

問題を解決しようとする


重要なのは

特定の方法論でなく

何が参考になって

自分に何が出来るかと言う事だ


よく走る健康的な人をAさん

絶望的に不健康な人をBさんとして


不健康なBさんは足が悪い

だから健康なAさんのように

走れば健康になる訳ではない


では健康なAさんは何故健康なのか

と言う原因とは

Aさんがよく走るからと言えるが

その事はBさんの問題解決と関係ない


じゃあBさんはAさんから何を学べばいいだろうか?


AさんとBさんはまるでかけ離れている様に見えるが、実はそんな事無くて

共通点がある


同じヒト属のホモ・サピエンス

と言う点だ


しかし

同じ種類の動物ではあるものの

運動能力や学習能力、境遇の違いが大きい

解決出来る事もあれば出来ない事もある


BさんはAさんの様に走れないが

Aさんがする様に呼吸したり

何かを見たり

手に入るなら同じ食べ物も食べれる


ただ、健康的なAさんの真似をしていれば

健康的になれる保証はどこにも無いし

Bさんには適応しないかもしれない


ではBさんがすべき事は何か


それは、Bさんに適応する方法を実行する事だ

人類と言う大きな枠組みの共通点から

さらに絞ってBさんに適応する方法を見つけ出す必要がある


ピンポイントにBさん専用の

とっておきの方法を見つけるのは

難しいかもしれない

でも解決法が見つからないままだと

絶望してしまう


それが難しくても人類に共通する

出来る事は見つけやすい


共通しているのは

呼吸や食を必要とする事や

目鼻耳口腕足がある事

場合によっては何か欠けてるかもしれないが

何かしら使える機能はある


出来る事をやっていれば

何かしらマシになったり

上手くすれば

出来なかった事が出来る様になる事もある

Bさんが挑戦して

Aさんの様に走れる様になれなくても

Bさんは元々走れないのだから

それ自体は損はしていない

その過程でちょっとマシになったら

その分得している


例えば絶望してる人がこれを読んだとする

あるいは自分が絶望していたから

この記事を書いていたとする


実は既に得していて

その絶望的な時間を暇つぶし出来ている


「今」って何だ?

「今」って何だ?


この事を考えていたのは

ハムスターの餌とおが屑を買いに

寒い中自転車を漕いでいた時だ


飼い始めたばかりでまだ余り懐いていない

時々心を許す様な時がある様な無いような


でもハムスターボールと言う遊具があって

それに入れてみたら怖かったらしく

ストレスがたまっているのが見てとれた

どうやらこの商品は使ってはいけないらしい


そして困った事にゲージに縄張り意識が芽生えていて

掃除しようとすると噛まれる


そして少し悩んだが

嫌われる事より健康に生きてもらう事を選ぼうと思った


食べ物もミックスナッツを食べさせていたが

偏食してしまうから普通のフードにした方がいいらしい


小屋の掃除中は不安そうだったが

綺麗になった小屋には案外満足しているらしく、中々ツンデレで扱いにくい


まぁそれはともかく

今とは何か、と言う疑問


ようするに時間についての考察だ


時間には、過去、現在、未来

がある


現在、つまり今と言うのは

すぐに過去になり続ける

そしてある程度は未来も見ていないと生きているとは言えない


時間と言うのは、意識があるから感じ取れる

だからもし今しか感じないと言う状態があるのならそれは石の様に固まっている状態と言えるだろう


つまり、人は生きている時、

意識や無意識によって

過去と未来を想像している


未来を完璧に予想できる人間は常識の範囲に

はいない

だから人は当たるかどうかよく解らない未来を想像している


人は基本的に幸せになりたくて

その為に何らかの刺激を求めている


客観的に見て、あるいは別の考え方から見れば愚行で幸せからかけ離れていて

まるで自ら不幸になっている様に見える行動もあるが

脳には意識と無意識があって

自覚している理屈とは別に不可解な思考プロセスを形成する


知能のある生物には

強化学習と言う機能がある


これは何らかの行動によって

恐怖や快楽が発生した場合

その行動を繰り返す様になる

と言う本能だ


快楽だけでなく恐怖心も関わっている機能で

あえて恐怖心を求めたり

恐怖心によって積極的にその行動を取らない様に別の行動をとったりする


これらをまとめると

「再現性」と言い変えられる


また、似た様な言葉に「類似性」

がある


類似性と再現性の違いは目的の違いだ


感覚的に

再現性99%の場合

類似性99%と言い換えるべきで無い


類似性、似ている事を目的としている場合

似すぎていたら意味が無いと言う事だ


プリントアウトした写真を似ている

と感じるのは不自然だ


類似性と言うのはある程度違っている事が前提で使われる言葉で

類似性と言う言葉を使い

類似性90%の場合は

残りの10%に意味があると言うことだ


本質的には大した違いでは無いので

再現性と言う言葉を使うとして


この、再現性と言う機能は

生物が始めに覚える機能だ


プログラム言語ではループ文

と言うのがある


つまり繰り返す事で安心する

と言う本能だ


卵から産まれた鳥は親鳥の姿を覚え

繰り返し接触しようとする

そして親鳥も同じように

繰り返し接触する雛鳥を特別視する


人も同じで、やり慣れた事

見慣れた人

記憶に残っている人と接触すると安心する


話を時間の考察に戻すと

彼らが得ている安心感

幸せと言うのは

過去を想像する事によって成り立っている

と言える


人は想像の再現性を実現させた時

その比率によって苦痛や幸福感と言った刺激を得る

そして、想像そのものが幸福感や不安感を生む


過去も未来も結局は想像の産物で

人はそのどちらかに手を伸ばし

幸せや不幸を感じる


そう言った考え方だと

過去は後ろにある冷蔵庫

未来は前にある冷蔵庫

と例える事ができる


冷蔵庫を開いてみると美味しい物が入っていたり空だったり

食べ物が腐っていたり

毒だったりする


過去も未来も本質的には空想だが

過去の方が再現性が高く

未来の方が不確定に感じられる


だから人は新しい事に挑戦し難いと言えるが


実際は未来と同様

過去と言うものが確実な物かどうか怪しい


基本的に、過去に浸るよりも

未来に期待する方が刺激的だ


未来と言うのは、妄想も想像もやり放題だが

もしかしたら酷い現実に直面するかも知れない


だが面白い事に、人は

過去の再現性だけでなく

未来の再現性でも強化学習をする


解りやすい例ではギャンブルだ

なぜギャンブルにハマるかと言うと

勝てた興奮だけでなく

負けても案外問題無い

と言う事も強化学習されるからだ


過去ばかり振り返るのも

宛のない未来で浮き足立つのも

ただ冷蔵庫に手を伸ばしてるだけで

同じなのだ


ようするに、幸せは何処にあるのか

と言う答えは

過去の冷蔵庫か

未来の冷蔵庫に入っていて

手探りで拾ってくるしか無いと言う事だ


そして再現性が高い程安心出来るので

目の前に形のある幸福があった方が幸福感を得るのが楽だが


目の前に幸福な形が無くとも

幸福になろうと思ったら未来か過去の冷蔵庫から美味そうな食べ物を取ってくればいいと言う事になる


今なんて無い

夢追い人もキャリア人も想像を食ってる生き物で食欲旺盛なのはお互い様と言う事になる

金と言う概念を使ったセルフコントロール

金と言う概念を使ったセルフコントロール

 

この記事を書く理由、その先の目的は
文章を通して金を稼ぐ、というという事だ

 

人は報酬と恐怖で動く

それを自分で自分に使うと言うのが

このセルフコントロールの性質だ

 

まず金とは信用である

そして信用の目的は自信をつける為にある

自信という概念の根本を分解していくと根拠は無く
根拠らしい物を紙幣等を通し貯蓄していく
それが資本と考える事が出来る

もしこの世がゲームだったとして
自信というパラメータを改造して無限にした場合
資本は必要なくなる
なぜなら何をしてもいいという無尽蔵な自信があるなら
金を支払う必要もないからだ

ただし、自分の脳内で勝手に自信の数値を改造しても
それを見た他人に与えられる影響は限られている
もしも他人からみた信用という数値も改造できれば
本当に金は必要ないという事になる

 

ゲーム、ゼルダの伝説では
金貸しが風呂敷を敷いている

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現実では風呂敷を敷いた個人預かり人の事等そう簡単に信用しない、
けれどもゲームという小さな世界では
座り続けて金を預かってくれるプログラム
というキャラクターが信用されるからプレーヤーは金を預ける

現実の銀行では組織化され
そう簡単には裏切らないという信用を元に
金を預け、手数料まで払っているが

自己管理に自信があったら金を預ける必要はない


そのような考え方を元に今自分が出来る事と
出来ない事を定義する

まず金は紙だが、金を勝手に発行するのは罪になる

けれども概念や仕組みは作れる

自分で作った自分の為の金の概念「セルフポイント」
なる物を発行する事は出来る

今私は勝手にこのブログを書く時間を自給制にした
自給は1500円だ

そして予定としては

私は残業が嫌いなので1時間しか働くつもりは無い
金の為に何かを嫌でもやる1時間というのを
1500円で自分を契約した

だからこの1500円分のセルフポイントを自分に贈与し
1500円なら自分を正当化して使ってもいい
という取り決めをしたのだ

そしてセルフポイントの具体的な仕組みは後々固めて行くとして
忘れては行けないのは金を稼ぐ為の行動をする
という事だ

金やセルフポイントは自信をつける為にあるが
仕事は金を稼ぐ為にある

なので具体的に戦略を実行する必要がある
頭の中で稼ぎ方等を考える時間はセルフポイントの対象にならない

実際に動いている時に自給として発生させるのが基本になる

このブログは商用では無い
だが取りあえず書き込める媒体がコレだったので
走り書きで綴っている

このブログで出来る事の大よそはコレで済んだ

後30分ある

残りの時間は商用HPを作る為に
Jimdo (ジンドゥー)について調べる

一人で生きていける、とは

一人で生きていけるとは

あなたは一人で生きていける
あいつは一人でも生きていける

そんな言葉がある
そしてこの言葉はもっと深く考えた方がいい言葉だ

まず一人で生きていく、とは
どう言う意味なのか

問題となるのは一体
「何処で」一人でも生きていけるかだ

この国で一人でも生きていける
と言う事となると
それはどんな人間か?

この国は人だらけで
この国で生きて行く事は人に頼る事だ

つまりこの国における
一人でも生きていける人
とは特定の誰かでなくても
別の誰かに頼る事が出来る人間と言う事になる
そしてそれがどんな人間かと言うと
友達が多く社交的でなんらかの魅力がある人間だ
また、魅力とは
何処か頼りない、助けてあげたくなる
と言う要素も含まれている

つまり、一人でも生きていける人
と言うのを強そうな人
と考えるのは間違いだ

この国における
本当の一人でも生きていける人
とは
どんなに弱っていても誰かから助けてもらえる人の事で
本当は囲いが沢山、
充分いる人に対しての協力は
募金くらいの価値しか無い

さてでは
無人島で一人で生きていける人とは
どんな人か

動物としては強いが
人間としては弱い人
と言う事になる

なのでパッと見一人で生きて行けそうな
強い人は
この国で一人で生きて行くのが難しい

出る杭は打たれる
と言う事がどう言う事かを考えると

人は壁や建物を見てもあまり邪魔だと思わない
しかし面積の小さい杭は邪魔なのだ

本当は自分と無関係なビルが建っているのは凄く邪魔だが
誰も文句を言わず
ビルを避けて道が出来る

でもそれがビルでなく
突然生えた1本の竹だったら
その竹が折られる可能性は高い

つまり、才能がある人は一人で生きて行くのは協力者が現れにくく難しいのである

しかし生物には生き残る為の本能や戦術がある

めちゃくちゃ邪魔なビルがなぜ許されているのか?
それは組織化され正当化されているからだ
才能豊かなミュージシャンはバンドを組むから才能豊かなミュージシャンとして生きていける

例えば世界一の技術を持ったギタリストが
何の文脈も無しに突然発生したとする
このギタリストは果たして成功出来るだろうか?

多分、それだけでは実際難しいはずだ
なので彼は生きる為に何らかの戦略や協力者が必要になる

場合によってはギターを捨てる事にもなりうる
他の仕事をすれば生きていけるからだ
だが世界一のギタリストがギターを捨てたら
世界一のギタリストとしての人は死ぬ
生きて行けなくなる
と言う事だ

彼は本当にギターを捨ててまで
平凡な生活を手に入れる価値があるのだろうか?
例えば一生成功しなくても
ギターは捨てるべきでないはずだ

出る杭が打たれるのは仕方がなく
ビルの骨組みは野ざらしのままだと錆びて折れる
ならば杭を捨てずに生き残るには
その杭を折り畳み可能な傘にすればいい

折り畳み傘を時々広げ
畳んでいた才能という羽を伸ばし
人知れず飛ばなくては鳥として生きて行けない
それは決して無駄な努力でも
無駄な才能でもない

認められない才能を磨く事に意味は無いと思われても関係ない
生きて行くのに必死なだけだ

金と愛の倫理

大切なのは愛か!?  それとも金か!?

 

関係ない人にとってこの疑問は
くだらなく、どうでもいい事と思うだろう
そういった人にとっては単純な事で
「どっちも必要」でいいじゃん、はい終わり
と考える
でも私は無関係者だからこそ冷静に、
趣味として考える事ができるのかもしれない

 

金と愛問題における無関係者はなぜそこまで淡白なのか
まずはそこから考える

金と愛問題は釣られた魚の話で例えると解りやすい
釣り人が魚を釣ったとする
無関係者はそれをみて、魚に対して強く同情しない
しかし釣り人は気分を良くし、時として魚を哀れむ
そして魚は物凄く苦しむ
金と愛の問題は人と人との間で
釣り針は金、そしてそれに引っかかる魚という愛の感情が苦しむ
問題と言える
魚の立場になってしまっては冷静になるのも難しいかもしれない

 

次に倫理について考えよう

倫理とは何か、それは正義とは何かを問いただす理の事だ

魚が泳いでいた、魚は生きていて色々やっている
魚は正義でも悪でもない
ここまでは単純だ
そこに釣り針が垂らされると急に倫理がややこしくなる

 

ここにカップルが居たとしよう
二人は愛し合っている
ここまでは問題ない

そこで一方が別の誰かを愛したとする
ここで問題は発生して
日本は一夫多妻が一般的でなく一夫一婦が一般的だ
という常識や感覚に引っかかる
なので当然の感情として
大切なのはどっちなんだ?はっきりしろ!と思う
そこではっきりとお互いが決断できれば問題は直ぐに解決する
この状態も、まだ単純と言える
素手で魚を捕まえているようなもので
手放すのも簡単だ

 

次に金が絡んでくると倫理は急に複雑になる

まずは金の性質について軽く述べる
金とは価値の事で、価値とは物事の正当化だ

正当である、という状態は他と比べ負けない
強い、という事で
金属で出来た釣り針は魚の肉よりも硬く強い
だから魚は釣り針の餌食になってしまう、と言う理だ

 

金と愛問題は
愛し合う二人、という常識と
金を使う、という常識が同じ精神世界のフィールドに居る事で発生する問題だ

愛、金、そのどちらも常識によって正当化されているので
その二つの強力なエネルギーは時として絡み合う

 

具体的な例を出す前にもう一度
倫理とは正義と悪、について考えよう

 

完全正義、完全悪について考えるのは範囲が広すぎる
なので一定の範囲で制限して考える必要がある
実験で検証する為に地球全体を実験対象にするのは無理がある
なので区間を狭めてシャーレ内で観察する事になる
シャーレの内壁は法の範囲と考える
微生物にとってのシャーレは人間にとっての法と考えれば充分だ

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↑、シャーレはこんな感じの実験器具

 

法を基点にした考え方だと、法の逸脱が悪になる
しかし、正義までは説明できない
法は悪が許される範囲かどうかを示していて
正義に相当する報酬は暗黙になっている
なので、悪とは何かは憲法や法律、常識で計れるが
正義とは何かという問題は個人個人の意志に委ねられる

 

正義が発生する元は「正当化」
という概念だ
金を稼ぐ事、金持ちである事
ルックスが良い事、才能がある事、人気がある事
こういった優れているように見える物事は
人々の暗黙の了解で正当化される
しかし、真実はそれが本当に正しいかどうかは解らない
正当化にも寿命があって
時と状況の変化で意味を持たなくなるが
考え続けるのは大変なので
人はそれが真実かどうかとは別に考える事を止めて
とりあえず盲目に何かを信じる

 

つまり正義について考えると果てがないが
悪については法を基準に定める事ができる
光を光で照らすよりも闇を見つけて照らすほうが簡単だ

法を元にした悪の定義は簡単で
犯罪は明確な悪で、犯罪にならない悪は
それだけ犯罪に似ている行為という事になる

具体的な例をだそう

 

風俗行為は悪か否かを考える

日本ではよく、こういった行為はグレーだ
と言われる、
つまり日本人の感覚では何か黒い物が混じっている
という事で
犯罪行為を稀釈した物が含まれている
その稀釈された犯罪行為を濃くしていくと出来上がる犯罪
それは売春買春、人身売買だ
そもそも人身売買が悪い事かどうかを考えると
ならばもっと濃くしてみると今度は奴隷制度になる
ここまで濃くしてみれば流石に悪だという事も解りやすい

なので風俗行為は悪だ
取りあえず罰に値しない程度の必要悪
という解釈が一般的だ

なぜ「必要」という白い正当化された部分が混じっているのか
正当化されている部分は金だ
金を稼ぐ事と使う事は暗黙の了解で正当化され
人々は金を正義と錯覚している
錯覚する人が多ければ多いほど
相対評価では錯覚していない人が間違っている事になり
間違っている人が増えればそれが脅威になり
間違っていても正しいという事になる

では金が正当化されているので金が絡むと
倫理はややこしくなるという事になる
金には正当化という悪を稀釈し歪ませる力があるからだ

 

では、金が絡まない性行為は悪だろうか
この事は決め付ける事が出来ない

なぜなら私たちの命は性行為によって産まれてきたからだ
正当化されているのは命の価値だ

しかし
生物の誕生はそれと同時に生物の死を表している
そして産まれてくる命が発生を望んでいるかどうかは定かでなく
産まれてくる時代や場所が幸せとは限らないし産まれると必ず死ぬ
必ず死ぬという時点で命の誕生は殺人罪を稀釈した成分が含まれるという事だ
また、産まれてくる命が悪人になるか善人になるかも解らない
時間がたってみれば結果的に重大な悪行をするかもしれないし
善行をするかもしれない

結局の所人を誕生させる行為が悪か否か
という問題についても
悪の要素は必ず含まれているという事になる

なので性行為も悪だ
ただし、稀釈された白い部分は命の重み
という法や倫理における最も価値の高い要素という事になる
善悪、法、倫理がそもそも命の為にあるので
命を正当化しない訳にはいかないのだ

では最後に、金か、愛か
という問題は本当はどうでもいい事ではなく
むしろ人生の根本とも言える大問題という事になる
金で買える物は余りにも多い
何事も金さえ払えば出来てしまう

思わせる事を
闇雲にに正当化されているのが資本主義の闇と言える

本当にシンプルでいいのだろうか?
こんなに大事な事を本当に考えないでいいのだろうか?
考えずに大きな枠組みを盲目に信じ
従う事で失う時間は帰ってこない

なり

ならばか?

過去未来が買えるのか?

金を正当化する事を辞めた時に見える物
その複雑な芸術が愛なのではないだろうか