ペタの哲学部屋

私ペタ(ハンネ)、が哲学を自重せずに展開していくブログです

善悪

 

この事を書くのは少し後ろめたくはある
何故なら私は今から善悪の両方を否定するからだ

自分の事を善か悪、そのどちらかだと思っている人は多い
だから敵を作ってしまったら嫌なので
前置きを取る

早い話し、全人類は馬鹿だ
勿論自分も含めて
そして、愚かである事
無邪気である事は愛おしい

いたずら好きで無垢な子供は可愛い
猫にしろ犬にしろ
フェレットにしろ
彼らが愛されるのは善悪とは別の
無垢さからなる

けれども彼らに比べ人類は脳が発達し
文明が発達している

善悪と言う概念は
文明を築く為に刷り込まれた機能に他ならない

善の機能は文明を発達、意地する事を目的としている

そしてその逆の悪は文明に反逆する為にある

善を極めるとどうなるかと言うと
その世間で成功者になれる
人に好かれるには良い事をして
良い子になるのが手っ取り早い

善は文明と共にマニュアル化されていき
方法論はそこら中にある
古くから聖書、経典
善を極める為の技術は浸透している
だからこそ文明は現代のように発達しているとも言える

次に、では悪とは何なのか
と言う事について
善が光なら悪は闇
肯定があるから否定が存在する

富が善なら貧は悪だ

貧乏を否定しているわけでない

富を築くシステムが善で
それに逆らうシステムが悪だ

言ってしまえば善悪なんてどっちでもいい


物質は有限なので全員が善人になって
富を築き過ぎると地球が餓死する

草食動物と肉食動物の関係にも似てるが

草食動物が増え過ぎると植物が絶滅して
生態系が終る
だから肉食動物が一定数必要になる

人間界の話しだと食物連鎖よりは少し複雑で

動物界のように食っちまえばいい
と言う事ではない

富を築くマニュアルにそった生き方

その生き方は時々否定してやらなくてはなら無い

ロックはある種の反逆で
皆んなが皆んなお行儀良くしていたら
それはそれはとてもつまらない世の中になる
人はハメを外したくなる生き物だ

逆に皆んなが皆んな反逆的でロックノリノリだったら、それはそれはもう
ひっちゃかめっちゃか
麻薬はやるは強姦はするは
静かに暮らしたいだけの時もある

善悪で人が対立したり、どちらかを罵る事がある

善にしろ悪にしろ、人は鏡のような物なので
貧富の差で対立する場合
そのどちらの言い分も正しい

富を築く為の思想、善
それは時として腐った葉を間引きしたり
より美しい物を抽出したり
汚い物を排除する働きをする

確かに、野菜は綺麗な方が売れる
だが何もかも滅菌すると
免疫力が育たない
見かけ上の都合で汚い物を差別していくと
ウイルスと言う人類に匹敵する強敵が牙を剥き
立ち向かう為の力が育たない

貧乏の立場からすると、多少汚かったり
賞味期限が切れている事などどうと言う事は無い

ストレスが溜まるし、金持ちに嫉妬するから
時々文句も言う

裕福な人にとってはそう言った事が許せない場合がある

何故許せないのか?
人は鏡だ、

つまり、自分の貧困な意識が貧乏人に投影されているので
その自己嫌悪が反発し許せなくなるのだ

金持ちが貧乏人を罵る事程虚しい事は無い


全員が金持ちになったらインフレだ
そんな事はあり得ない

それぞれ能力や性格の差がある以前に
貧富の差は発生する

経済は椅子取りゲームみたいな物だ
席に座れる人もいれば座れない人もいる
譲る人もいれば、蹴落とし
蹴落とされる人もいる

椅子に座れ無かった人を見下す必要が何処にある?
いつまでも椅子に拘る必要が何処にある?

遊び方は椅子取りゲームだけでは無い
座らせられっぱなしで
あまりにも退屈なら
椅子をぶん投げて窓ガラスを割ってしまう
と言うのも
それはそれで気持ちがいい
(あくまで例えだが

言うなれば真面目に授業を受けるのが善
あまりにもつまらないから荒らすのが悪

結局、最低限の配慮というのがあって
度が過ぎるのは不味いが
あまり小さい事で喧嘩しない方がいい

子供の粗相に一々イラついてると
そのストレスが爆発して悲惨な事になりうる
些細な事がイラつくのなら
それは心が狭い証拠だ
広い目で見れば大抵許せる


ライオンがあまりにも牛を食べ過ぎるなら
規制が必要だが
ライオンが規制され過ぎると
今度は牛を規制しなくてはなら無い

バランスを保つには善悪にとらわれない
広い視野が必要になる

ちなみに、ここで言ってる善悪とは
体裁の事で心の中の事じゃ無い
善悪というのがそもそも表面上の問題だ

たまに人の心を見透かして
どうせあいつは屑だ
とか決めつける人がいるが
見た目や雰囲気だけで決めつけるのは
明らかに思慮不足で冷静になれてない
良く知りもせず、良く見極めもせずに人の心が解る程自分が優れた人間だったと言えるか
思い返した方がいい

自分もそうする


進み続ける者は自由であると同時に孤独だ


そもそも、人を集めると言う行為は

特定の場所に安住する為のスキルだ


自分の中でTwitterやブログとの付き合い方を考える事があって


人気が無かったり、やり取りが無い事に不満を感じる事がある

誰にでもある事で別に不思議に思わ無いが

要するに承認欲求の枯渇で

SNSでよくあるストレスを感じる事がある


そしてそんな中微かな嫉妬心を抱きつつも

人気になる方法を観察してみている


当然様々な戦略がある

基本的には

返報性の法則(お返し、相互等)

で成り立っている


あるいはそれとは別に、単になんらかの切欠で話題性が沸点に到達場合


このどちらかを戦略的に、

あるいは無意識的にやっている人がいて

そういう人達が特定のコミュニティを形成して行く


無意識にやってるなら別にいいが


問題は意識的にそう言った戦略を取るべきかどうかだ


そして思ったのが

やはりめんどくさい

という事


そして集客と言う行為がそもそもにして

自分が望んでいるスタイルと違うと思えた


自分が何故考え、言葉を発するか

と言う理由が

成長する為、変化して行く為だから

現状を維持する

集落を築き、人を集める

というのは

変えなくてはなら無い現状に他人を引きずり込み

変わら無い場所で生活して行く事を意味している


現状が満足出来る環境で無いのだから

そこに人を集める必要は無く

自分自身が変わらなくてはならない


変化し成長して行く事は孤独と隣り合わせだ

だからこそ、一期一会

何気無い所作

前を向いて歩く表情


好きな道なら楽しく歩け


そんな姿勢を大事にして行きたい


花は種や木に比べ質量が少ないが

体積が広く

米や果実のように優れた食材ではないが

魅力的で高値で取引される事もある


また、ポップコーンは弾ける前は食べれた物ではないが、弾けてポップコーンになれば

何と無く楽しい気分になり

味をつければ食感と香ばしさが加わり

映画のお友などに適している

ちなみに、意外とカロリーが低く

食物繊維が豊富で腹持ちがいので

ダイエット効果がある


ピエロの服装や道具は

嵩張るが軽く

無駄に派手に装飾されている

装飾に一々本物の宝石を使ったら

重たくて芸が上手く行かない


何が言いたいかというと

これらに共通しているのは

誇張されている事

つまり大げさな表現

抽象的思考、過大解釈

という、一見愚かに思われがちな思想が

実は豊かさにおいて重要な本質を備えている

という事


風が吹けば桶屋が儲かる


実際、冷静に考えれば

風が吹く事と桶屋が儲かる事は関係ない


でも、もしかしたら

巡り巡ってそう言う事もあるのかも知れない

バタフライエフェクトと言う言葉もある


わらしべ長者についても

何故わらが巨万の富に繋がったか

これはそこにある物を過大解釈させていったからに他ならない


そもそも、なぜ旅人がわらを持ってたかと言うと

お釈迦様のお告げがあったからだ

始めに手にした物を持って旅をすれば

巨万の富を得られる

とお釈迦様に言われたかららしい


その時点で既に過大解釈がされていて

お釈迦様をインド人ではなく

大仏のような神様としてその言葉を信じた


そしてそこにあるわらを過大解釈する人が現れ、みかんに、みかんが馬に

馬が家に

と過大解釈が連鎖していった


商業の基本は誇張する事で

過大解釈し、大げさに盛るから富に繫がる


奇跡が何故奇跡と呼ばれるかと言うと

過大解釈しているからに他ならない


大きさに比べ軽いポップコーンの様に

喜ばしい事、楽しい事は、幸せ、富は

大げさにした方がいい

マジックショーにせよネタが知れてしまえば

見た目程意味は無い事が解るが

そもそも、質量が高く

現実的で、重量がある

と言う事も言ってしまえば

価値がある事とは違う


キャビアよりポップコーンが美味しいならそれでいい、と言う事も現実に変わりは無い


重く、重量感がある様に見せ

厳粛さを守るのも幸せを守る一つの手段だが

逆に、軽く、弾けるように華のある表現をして行く

というのは幸せを膨らませる技術と言える


何にせよ、楽しく、幸せになるのはいい事で、何かを信じ、期待するというのは感情が持つ力と言える


力は扱い方に注意が必要で

人を不幸にもするが幸せにも出来る

不平不満、嫉妬、疑念を膨らませるくらいなら

夢や希望を膨らませればいい


ピエロが球から落ちたら痛いように

夢や希望と言う幻想が弾ければ

転んで痛い

でも転んだらまた立てばいい

そう言う生き方もある

良い技は心を良くする


人間は心技体が連動しているので

当然

逆に体が良ければ技が良くなり

技が良ければ心も良くなる


とりあえず、直ぐ体を良くしようとしても

目覚ましい効果はあまりない

というか、体は遺伝や環境に左右されているから、自分の技無しで体にアプローチするのは

他人の意思でしかない


だから体→技

というアプローチは他人へ使う場合のみ使える


しかし技を使えば体も変えられる


自らが問題を解決するには

技と心を考える必要がある


心→技、技→心

ここの部分は自らの意思で逆行可能


マッサージや手術

かゆい所に手が届かない場合は

他人の力が必要だが


鍛錬、自らが成長していくという行為は

自らの意思力が重要になる


人は基本的に他人に教わるより

自分で覚えたほうが効率よく成長する


ベストキッド、という面白い映画があって

初期は3部作で

ジャッキーチェンとブルースウィルスの息子が主演のリメイク作品がある


師匠のミヤギが弟子のダニエルに教える内容は一貫していて

それは日常動作の所作だ


雑巾で床掃除をひたすら続けさせ

左右の手の回転がそのまま受けの型になっている、というシーンがあって

ジャッキー版では服を効率よく服掛けに掛ける稽古をする


この、動作の効率化をひたすら鍛錬する事が

技を鍛えるいい方法で


長い事やっていると、自然と楽したくなる

だからもっといい方法が自然と思いつく

ただ、それを修行と受け止めているかどうかがそもそもの問題で

雑巾を使って効率化を図るから

技が磨かれていく

ここで掃除機を使ってしまうと自身が成長するチャンスが損なわれてしまう


やってみれば解るが

どうでもいい事でも効率化し

素早くこなせるようになるのは心地がいい


丁度いい例えが浮かばなくて恐縮だが


例えば

トランプの束をシャッフルして

その中かはダイヤのエースを見つけて

場に出し

またシャッフルする


それをひたすら繰り返し

素早く出来るようになってくると

楽しくなってくる


この、何気ない感覚を得れるように物事を続けると技を覚えるのが得意になってくる


なので一見大して意義が無いように思えても

スキルを習得するスキル

というのが鍛えられると

選択肢が広がり

その分自由になれる


このスキルは言うなれば

雛鳥が覚えるべき飛び方のような物

そして飛べるようになれば

いつまでも巣に居る必要はない


ただこの世には学べる事があまりにも多いので止まり木は無数にある

飛び立ち、何処に行くのかは個人が決める事だが、

飛び方を知っている人は

最低限誰かに伝える必要がある


そんな感じだから書いた

重力について

力を本能的な観点として見ると
それが畏怖の対象であるか、と言う基準で判断できる

 

よって
重力はそれが畏怖の対象であるからして力と言える

重力の仕組みとしては、一説として巨大な物体が移動する事によって
空間に歪みが発生する、というのを聞いた事がある

一見意味不明なその事を解りやすく想像してみると
スネ毛を抜いた時の事を考えるといいかもしれない

 

スネ毛が地球で、周りの肉が空間とする

スネ毛である地球は移動しているので、空間である肉は
スネ毛を抜いた時一緒に盛り上がる

 

スネ毛と肉の間には摩擦力が生じ、
スネ毛を抜いた時周りの肉は引っ張られ
毛と一緒に体液や皮脂をつれて来る

 

巨大な物体である地球が移動する、というのはそれのスケールがでかく
なったようなもので、
私たちは地球というスネ毛にくっついた雑菌みたいな物だ

巨大な船が移動すると波が起こって、近くにいるとちょっと引っ張られる
そんな感じだと思う

 

諸説あるので正確ではないが
多分そんな感じの原理なのだと思う

 

まあ、それたが、そういう話が本題というわけではない
着目しているのは重力が恐怖の対象であるという事

基本的に人間は高い所が怖い
けれども赤ちゃんは高い高いすると喜ぶ

高所恐怖は後天的な物と考えられる。
生れてきて、あらゆる力に触れ人は学習していく
そして、もっとも身近にある力というのが重力

 

体重が増えてきて、転んで痛い思いをして
食器を落として、と重力の性質を学習していくにつれ
やがて、それが時として危険な力になるという事に気がついていく

高い所が好き、というのは重力の脅威を知らないか
あるいは恐怖を克服し、純粋な感覚を味わっているからなのだろう

 

五行説の土生金、土の中から鉱物を採掘できる
これに、土に経験、金に信用 を当てはめると 
*(土は生物や物質の残骸、役目を終え形が崩れた物)

経験が信用を生む、といえ、物事には陰陽、正負がある

 

重力の影響で受けた痛みの経験が、高所に対する恐怖を生み
それを克服する手段の命綱や受身、トランポリン等が、高所を克服する信用を生む

 

それはそうとして、重力は大抵の人間が共通して感じている力だ
だから集団心理の投影であるFXのチャートにも多分重力が影響している
具体的に意識していなくても、高い所から落ちるのが怖い
そんな無意識が共通していると思う

ドル円で考えた時
反転チャートを見る人はあまりいないとして
ドルが買われるとチャートが上昇していく

ドルが買われすぎる、というのは日本人にとって脅威だ
日本円の価値が下がるので、アメリカ産の商品が高くなる
だからそういうイメージを持たせやすくする
という大衆を誘導するトリックがあるのかもしれない

勿論、アメリカ側から見た場合、反転チャートを使わなければ
逆の現象が起きている

とはいえ、別にFXでドルを買ったから日本が不利になる
という事とも思えない
利益を出せば、アメリカの金が日本円に変わり
その金を使うと日本が少し優位になる

紙幣は発行すれば出てくるが、海外と比べ
そのバランスを取るには取引をするしかない

国と国が主張し、欲しているのはその国の優位性
はやい話、戦争は強盗みたいな物で
いっその事全部くれてやればいい(全部は多すぎるか、、

この金は自分達の物だ!お前達には渡さないぞ!
という、貧困な意識が、国を貧困にさせているのだ

と、まあ
人の振り見て我が振り治せ
裕福な意識を育み、私も実際に稼げるよう頑張らねば

 

最後に
金は信用、つまりは宗教
宗教ってのは怖い部分もあって金もそう
でも困った事に金という宗教は力が強すぎて従わない事には生き難い

紙様が神様だからその力を理解し使う側になる事が
経済国での一つの自由と言える
育ちの格差ってのは確かにあって厳しいけど
意識を変えていけば何とかなると思う
思いたい
初めから経済的に自由な権力者もいるけど
自由というのは勝ち取れる物

五行的に金の力ってのは1/5の力で
昨今の世の中金に傾きすぎじゃね?って思うけど
文句を言っても仕方が無い

 

続・愛とはいったい

五行思想、火剋金を元に話しを進める


自然界の摂理として火剋金とは火が金属を溶かす、ざっくりと火は金に勝つ

と言う意味


私が五行思想に興味をもって

考察している理由は五行思想心理的、科学的な意味を見出した時あらゆる事が説明できる

と気がついたからです


火を何かに例えた時、金を何かを例えた時

その説明が出来る

そしてその理論が理にかなっていれば理解が出来る

言うなれば五行思想の五芒星は物差しのような物だ


琢磨されていった思想で

改めて木火土金水をより原理的に当てはめると

木、豊かさ、多様性

火、仮に愛とする

土、経験、空間

金、信用、時間

水、反応、融合


万物の真理を表している図式なので

読み解いて行くとスケールがデカい話しになる


金の力は信用の力、信用とは突き詰めると時間、土生金、土が金を生み出す

信用は経験から生まれ

時間は経験と空間から生まれる


心は時間の移動が可能

だから予測が可能で過去や未来に浸る事が出来る

心の根本欲求である愛

言うなれば愛とは命の元

生物は皆愛着によって発生している

自分の命とは直接関係ない未来の子孫を残すと言う事自体

愛が時間と言う概念を凌駕している事を証明している


しかし水剋火

水は火を消す

水は柔軟性があり変化しやすく融合しやすい

食事、食べ物は水と考える事ができ

カロリーや栄養と融合していると言える

なので食欲は性欲より強い

結局は他人の命より餓死しない為の食事が大事


なのでとりあえず食べていける事が前提の話しだが


人間が本当に求めている事は

金でも信用でもなく愛


時間軸を移動してまでも人は愛を求めている


より良い未来を思う事

それが愛

情熱と捉える事もでき

火は光と熱を放ち拡散する現象

物事の始まりを表していて

空間が創生される瞬間は火が発生していたのかもしれない


暗い道を照らす道しるべであり

共有可能な暖かさであり

そして生物を滅ぼす業火にもなり得る


時間と信用を削ってでも欲する物の正体が愛

火は木によって生まれる

つまり多様性によって愛が発生する


愛は多様性の獲得を目的としているとも取れる、人は自分に無い物を持つ者を求めやすい

それは多様性を獲得すると言う使命感からなる

多様性が増えた現代では

その使命感に沿った関係を見出すのは難しくなっている


しかし心に火を灯し

足元を照らし、暗い道でも

進んでいけば、きっと

明るい未来にたどり着ける

その未来を信じたい

時間と空間の人生力学

今週のお題「私の沼」

←時間と空間



間違った判断の連鎖が人を不幸にする


力とは時間と空間の相互作用であり


心技体における体は心が入る場と言え

空間は常に不平等なので

体は人それぞれ不平等だが

それを心と技を持ってしてどう扱うか

というのが生きる者の課題と言える


心とは、極論すると、時間と空間を認知する能力と言え

技とは、地の利と時の利を活かす事と言える


配られたカードの地の利と時の利を正しく判断し連鎖させて行く事が幸福な未来を生み

判断を誤り連鎖して行くと不幸な未来になる

なので人類が忌むべき悪は差別と言える


差別とは不公平な判断の事で

老人や障害者を必要以上に甘やかせるのも差別だ

同じ量の努力をしていても評価されない人間もいるし

人生辛い事があるのは誰でも同じだ

問題は肉体と言う地の利の使い方が妥当であるかどうか


弱者を必要以上に甘やかせると言う行為は

弱者から学びと成長の機会を奪い取る事でもある、犬を飼ったとして、食欲が強いからと言って太らせ、出来が悪いからと言って芸を教えないのは

健康で、学習し成長して行く喜びを教えない事になる


また、ルックスが悪いからと言って

その惰弱性を主張し、結果大して努力もせずにモテている人がいるとしてそれは

明らかに不公平だ

判断力が低下し考える力を失ってしまうせいで悪い物を優遇してしまうと言う例は多い


勿論ルックスがいいからと言って性格が悪い人がモテるのも不公平だ


間違った判断の連鎖が不幸を呼び込む

なので判断を怠るとどんどん未来は悪い方向に向かってしまう


もし上記の不公平な判断を続けた場合

どうなるかというと

性格とルックスの悪い人間が増えると言う事だ


人類が成長するためには

地の利が悪いのなら、時の利の使い方に着目せねばならない

それは配られたカードの使い方に着目すると言う事、モグラが海に飛び込んで鮫が強いから不公平だと喚くのならそのモグラが悪い


モグラにはモグラなりの優れた利があるのだから、それを最大限生かして行く

というのが正しい


けれどもモグラは海に行ってはいけないのか

と言うとそうではない

頑張れば案外泳げるかもしれない

そうしたければそうすればいい

ただし鮫に食われた所で文句は言えない

海には海のルールがあるからだ

海に飛び込むモグラはその事を理解しなくてはなら無い

そして理解し克服する事が出来れば

水陸両用のモグラが誕生し

モグラの株が上がるかもしれない

モグラが海に飛び込むからと行って

モグラの為に海のルールを変える必要はない

優しさがあるのなら、本当に助けが必要な時、必要なだけ助けるべきだ


武器を持つ、と言うのが地の利だとして

銃弾が打たれる場所に居ない、銃弾を避ける

と言うのが時の利と言える


地の利が悪くても時の利で補う事は可能なのだ


また、人それぞれが都合と言うものがあり

それは人それぞれの地の利と時の利の事で

時間の都合、場所の都合がある

正しい審判とはそれぞれの都合が最もスムーズでバランスが良い形を取る事と言えよう



最後に、概念を二極化した時、空間と時間に別れるが

肉体は時間軸を一定の速度でしか移動出来ないが、心は過去にも未来にも行ける

時間と空間の概念を完全に理解すれば

ワープやタイムトラベルすら可能になるのかもしれ無い

仮に空間が存在しない虚無空間に時間が存在するのかどうか

物体が変化しない事には時間を説明する事が出来ないが確かめない事には変化を自覚出来ない、認知する対象が無い場合その空間は本当に存在するのと言えるのか

考え深い事は無限にあって

考える事が出来る事に感謝したい