ペタの哲学部屋

私ペタ(ハンネ)、が哲学を自重せずに展開していくブログです

哲学とは何か

哲学とは何か


フィロソフィー

知恵を愛すると言う事

今までそんなに気にしていなかったのだけれど

図書館でいわゆる哲学っぽい哲学

歴史について多少は心得ておこうかなと思って本をいくつか借りた

そしてまぁ、入門書的な類のはしがきとして

哲学ってそもそもなんだ?

世間一般人は哲学って何だと思っているのか

と言う客観的なイメージの説明から入っている場合が多い

そしてその究極の問いとして

「哲学って何の役に立つの?」

と言う質問がある

なるほど、自称一般人は

何の役に立つのか

そんな事を考えるものなのかと思ったが

それが何の役に立つか考える事自体が

既に哲学なのだと言える


哲学が無いと人は死ぬ

ただそれだけだ

死ぬのなら必要無い

生きるのなら必要だ


生かされている

と言う薄っぺらい虚栄心は

実は氷のように脆い

ふとした拍子に簡単に崩れ落ちる

そんな崩れ落ちた世界から生還するには

哲学をせざるを得ない


自らが自らの為に生きようと決めたら

考えざるを得ないのだ

そもそも「それ」や「これ」

とは何なのかと言う問題に向いあい

答えを出さなくてはならない


例えば、世界中全ての人が自分の敵になって

お前に生きる資格が無い

と言われたとする

ああ、そうかとそこで死ぬのなら考える必要など無いが

生きたいと思うのなら

そもそも、全てとは何か

敵とは何か、生きるとは、資格とは

と言う答えが必要になる

そしてその問題を紐解きさえすれば

生きるのに資格が必要だとか

世界中が敵だとかと言う荒唐無稽な否定が

てんでデタラメだと言う事が解る


そしてこの、現象を紐解き消化する作業が

知恵であり

人が人として生きると言う事でもあるのだ

世間一般人など存在しない

人にはそれぞれの名前

個性、考え方がある

ただ生かされているだけの

世間一般人と言う虚構の存在として生きるのなら

哲学は役に立たないかもしれない

けれどもそれはもはや社会の歯車でしか無い

何も考え無い機械か家畜と同じだ


考える事とは何なのか

何故生きているのか

何に苦しみ何に喜び

哲学、知恵を愛するとは何なのか

知性とは、愛とは

あらゆる事に疑問を持ち考える事

それをやめてしまったら

もはやそれは人は生きているとは言えない


では一見して何も考えていない他の動物が

哲学をしていないのかと言うと

それはそうとも限らない

哲学をしていると言う事は

魂の存在を感じていると言う事

形式的であるかどうかと言う事でも無い


哲学とは魂の学びそのものと言っても過言では無い

そして学びの無い魂は脆い

哲学不足だと理不尽からなる自殺願望に耐えられない可能性が高い


哲学は

役に立つかどうかと言う次元の話では無いのだ

愛と知恵を持つ事

それが生きると言う事で

知恵を愛する事が哲学

そうすると相乗効果で愛と知恵が膨らむ

それが生きて行く為に

最も合理的な思考プロセス

と言う事なのだ