ペタの哲学部屋

私ペタ(ハンネ)、が哲学を自重せずに展開していくブログです

暴論又は正論

絶対的に対象的な物質

それを発見したら奇跡だ

それは物質の完全な最小単位なので

その発見は現実そのものを濁し始める


シンメトリー、対称性に対し

アシンメトリー、非対称性がある


欠けてる事

傾き、アシンメトリー


解りかけてる

解り欠けてる


生きている事は

死にかけていると言う事で

死の世界を解りかけていると言う事

かけているから

かけてない部分で生きてる

死の理解を完成させようとすると最終的に死ぬ

焦らなくても必ず死ぬ

だから欠けてる事が大事


それが解れば

そう言う世界観が解る

全部では無いけれど

死なない程度に

死なない範囲で解る


私は

信じると言う行為を信じていない

しんじまうから

そもそもおかしいのが

キリストは最終的に張り付けにされている

結果的に残酷な見せしめにされている

先入観なしで見たら

信じたらダメだよ

と言う意味になる


ドラマSPEC

湯田(ユダ)をとうだと

読ませて馬鹿にしてる

と言うシーンがあるが

同音異義語、冗談

そう言う馬鹿っぽい所に真理がある


マジシャンは何かと意図的にミスをして

笑いを取り

注目を集めて仕掛けを誤魔化したりする

騙しの天才が真理を隠しているとしたら

信じ難い事ほど怪しいし

裏をかいてくるかも知れないし

裏の裏かも知れない

なんせデタラメな部分もある

あれれ?気がつきませんでした?

貴方にたかってたハエは

貴方が尊敬してた偉人ですよ?

とか言ってるかどうかは解らないが

そうで無いとも言い切れない


何が現実か解らなくさせてる

トリックのヒントは

陰陽と無知の知の合わせ技で

光と陰の総称が生きると言う事で

理解と不理解の総称も生きると言う事

ちなみに陰陽師

安倍晴明

せいめい=生命

いんよう=引用

こういうのも怪しい

あべこべな生命ってか?

ようは

解らない事を解らないと認め

悲観しなければいいと言うだけ

心から喜んで見ていれば

マジシャンも喜んで

色んなネタを見せたくなる物

だから解らない事を喜び

感謝すると色々解る


疑問を解消したがってると

マジシャンは

じゃあ基本だけ教えてあげましょう

現実とは

日が昇る事と日が沈む事です

だから初めからそう言ってるじゃないですか

さあさあ

そんな初歩的なトリックよりも

まだまだ素敵な魔法はありますよ?


信じ過ぎる事が良くないのは

マジシャンの手品を信じ過ぎると

マジシャンはただ単純に

楽しませたいだけなのに

崇められたら困ってしまうからだ

信じる者が現れると

信じない者と喧嘩をしだして

マジックショーどころじゃ無くなる


信じる者は救われる

何が?

足元かも知れない

信じる者は足元をすくわれる

と言う意味かもしれない


マジックのタネが案外単純な事と同じで

真理とは

解る事又は解らない事

そのセットと言う事

昼と夜

眠りと覚醒

答えは初めからそこにある

ちなみに

死んだから現実が解る保証はどこにも無い

この世界に嘘つきが沢山いるだけの事で

それは信じ過ぎさせない為かもしれない


生きると言う覚悟を持つと決めた以上

例えばこの現実が

マジックショーだったとしても

最悪の場合、意地でも客席にしがみつく

と言う、態度

魔法、魔術にたいする執念

愛着、愛によって現実にしがみつかねばならない


客席を不当な理由で離れていく客は

止めざるを得ない

ちょっとまって

まだショーは続いてるじゃ無いか


さもなくば客席に一人取り残される羽目になり

客席にしがみつく気力が減っていくからだ


自分に才能が無いとか

劣ってると思わせるのは

マジックショーを成立させる為の

冗談に過ぎない

悲観せずに

それでそれで?

じゃあ仮に馬鹿な自分を騙して

次はどんな魔法を見せてくれるの?

と言う態度で臨み

魔法を眺めていれば

人は必ず賢くなっていく


そもそも賢さとは何か

と言うネタが

矛盾し、ループするトリックになっているだけなのだ


つい考え過ぎて疲れてしまう事があるが


過剰な演出

過剰な興奮が続き過ぎるのも

飽き始める原因になるので

上手いことぼやかして

退屈する時間

休み時間も大事だ

現実はちゃんと

休憩ができる会場になっている

と言う施設の裏方の配慮にも感謝せねば