ペタの哲学部屋

私ペタ(ハンネ)、が哲学を自重せずに展開していくブログです

割り箸とセロテープの曲芸師

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芸術の秋という事で

今日は童心に返って割り箸とセロテープで工作しました

 

まぁ、デタラメな作品です

なんでこんな物を作ったのか、問題はそこで

作品はおまけみたいな物です

 

まず「割り箸とセロテープの曲芸師」

というタイトルが頭に浮かびました

 

どういう事かといいますと

 

まず、自分にとってセロテープとは何か

からです

 

セロテープと言えば、子供の頃

はじめて、何かと何かをくっつける道具として

覚えた工具です

 

そして幼い頃、

ペットボトルのキャップを指ではじいて回したり

牛乳パックで船を作ったり

それこそ割り箸をセロテープでくっつけて

何かよく解らないものを作っていました

 

割り箸をデタラメにセロテープでくっつけて作った

おもちゃは余りにも不安定ですぐ壊れます

だから小さい頃、割り箸とセロテープで

いったい何を作っていたのか

なんで作っていたのかを殆ど覚えていません

 

別に褒められたいとか、売れるとか

お小遣いをもらえるでも無しに

ただなんとなく、作りたいから作って

それで満足していたものです

 

大人になってからは

そういった一般的に見て無駄な事を余りやらなくなり

工作をするにしても、何かもっと付加価値を求め

評価が得られない、何かと比べて劣る

という感情から、「やってみよう」

という純粋な感覚を閉じ込めてしまうものだと思います

 

とかく精神的に衰えて考えが凝り固まってくると

安定感、という物を求めがちです

 

しかし、曲芸師、ジャグラー、天才、芸術家、達人、超人

と呼ばれる人達の何が凄いかというと

「不安定な事をやってのける」

という点に集約されます

一度も転ばずに宙返りをする人は居ないでしょうし

凄い事をやってのけた人は

皆、不安定な何かに挑戦しているのです

 

そして、そんな不安定な事への挑戦心は

老いと共に薄れて行き

どんどん腰が重くなっていきます

 

それは、客観的な評価に囚われているから

出来る事ばかりやってしまい

新たに挑戦しようという気持ちが弱くなるのです

 

客観的な強さにばかり囚われていると

がちがちに固まってしまうか

勝てる確率の低い勝負に挑まなくなってしまう

そうすると、どんどん鎧ばかりが重くなっていき

結果的に自らの自由を奪ってしまうのです

 

曲芸師は鎧なんか重いから着ません

練習の段階で何度も怪我をするでしょうが

それでも、咄嗟に受身を取り

すぐに立ち上がり、怪我をしても

まさに折れた割り箸をセロテープでくっつけるようにして

また新たな事に挑戦していきます

 

継ぎ接ぎで作っていった自分という物に

前例がある必要なんて無くて

そこにある物で出来る事をしていき

失敗してもセロテープでくっつけてごまかしていく事

それが、達人として技を極めていく挑戦者の姿勢ともいえます

 

一見矛盾する相反する事を同時に成し遂げる事

それが極みという物で

弱さと強さ

成功と失敗

それらを掌握する事が本当の強さと言えると思います

 

たとえば、ロボット相撲みたいな競技で

周りの参加者は最新鋭のパーツを駆使して戦っている中

あえて、割り箸で作ったロボットに

合気道的なプログラムを組み込んで

鉄で出来たロボットを倒す事が出来たとしたら

まさにロマンだと思います

 

本来弱いはずの者でも

修練と技法、そして勇気と発想をもってすれば

常識は覆す事が出来る

そんな道を目指す事

それこそある種の理想的な武道だと思います

 

何かと何かをくっつけて何かを作る時

鉄なら硬くハンダである程度頑丈に固められるけれど

ハンダで工作するのならハンダゴテ、フラックス

ハンダ、熱の危険を配慮した環境が必要になり

アーク溶接までするなら、講習ともっと値の高い工具が必要になります

しかも、いまどきブリキの玩具を作っても

そう簡単に利益を出す事は出来ないでしょう

 

そうやって、無理な理由、難しい理由、意味が無い理由を探すから

結局なにもできなくなってしまいます

 

小さいときは回りの評価なんて気にしていないから

別にセロテープと割り箸でよかった

そういった純粋な気持ちが挑戦心を生む

そんな事をいつかの自分や他の誰かに伝えたくて

下らない物を無我夢中で作ってみました