ペタの哲学部屋

私ペタ(ハンネ)、が哲学を自重せずに展開していくブログです

直列思考と並列思考

直列思考と並列思考


一つ一つ細かく目の前の問題を対処する直列思考

全体を把握しまとめた上で問題の解決策を考える並列思考


直列思考のメリットとしては

あらゆる不満に対処仕切れなくなり

鬱状態になる場合

認知行動療法として直列的な対処が勧められる

例えば、小さい事、出来る事をコツコツと繰り返すと言う事

部屋が余りにも散らかっていて

片付ける気になら無いなら

とりあえず小さな区間だけ掃除する

すると段々片付いていき

次の作業、次の次の作業と段々問題が解決していく


次に並列思考

これは脳全体を活用する思考なので消耗が大きい、しかしそこから生み出されるアイデアは直列思考の物より革新的で

例えば、

部屋を片付ける場合、

活力があれば、一気にカテゴリ分けし

箱か何かに詰め込み、一旦埃を吹き飛ばす等

ゴミのまとまりを一気に運ぶのは効率がいいが大きな力が必要になる


文章や言葉の表現にも並列と直列がある

そして概要が知りたい場合

直列的な文脈と言うのは読み聞きするのがめんどくさい

学校の授業が退屈なのは

直列的な説明をしているからだと思う


女性に多い気がするが、

例えば映画を見て、それがどんな内容か説明してもらう場合

桃太郎を例にしよう


直列的な場合

「昔話なんだけど、500年位前かな、

その辺ちょっとよく解ら無いんだけど

おじいさんとおばあさんが居たんだって

ああ、でも当時は寿命が短いから

60才位かもね

おじいさんは山で芝刈りしてて

おばあさんは川で洗濯してたんだって

偉いね、ちゃんと共同作業してて

とまぁ、話が進まない

聞くのがめんどくさくて内容が入って来ない

その対策として、内容そのものを薄くする事もある

例えば日常系

どうでもいい日常を脚色し読み物にする

そう言う使い方もある

簡単な事をあえてめんどくさくする

と言う技法は小説等で用いられる

文章の多い小説を書く場合

文字が多い程価値がある様に見えるので

省ける部分をあえて長くする

と言う技法が使われる


理論や議論、論文では逆で

革新的である事を目的としているので

完結で伝わりやすい方がいい

湾曲して伝わると危険すらあるからだ

その為には木や林を見ずに

森を見なくてはなら無い

つまり並列思考が必要になる

桃太郎を例にすると

「川で拾われた桃から産まれた子供、

桃太郎がすくすくと育ち、犬、猿、雉を連れ、鬼が住む鬼ヶ島へ行き

鬼を倒し宝を持ち帰ると言う話

ちなみに、本来は桃を食べた若返った老夫婦が桃太郎を産む話だが、性描写の関係で桃から産まれた話として認知されている」


規則として、まず結論ら述べる

全体を見通した後

その反論、疑問、応用へと枝を伸ばす


賢人は複雑な事を簡単にし

愚者は簡単な事を複雑にする


と言うが、昨今では必ずしもそうでは無い


例えば自転車が壊れたとして

買い換えるのが賢いと言え

修理するのが愚か

と言う事では無いだろう


既存の仕組みを分解し

組み立てるには高い知能が必要で

一度自転車を治せる様になれば

そこで培った知識を使い

より簡単に治せる様になる


現代は、初めから使いやすく簡単な物が多い

そしてそれに頼りっきりで深く考え

仕組みを分解しないでいると並列思考は育たない


分解と組み立て、

簡略化、複雑化


美術的な面では複雑化が使われる事が多い

メタファー表現、比喩なのどがその例で

香水や香料をたくさんつけて実体をボヤかすような物だ

これも使い方次第と言えるだろう

しかし

そう言う楽しみ方もあるがそれが事実

現実から離れて行っていると言う自覚は必要だ

例えばメタファー表現の絵として

ハサミやコンパス、刺々しい物を集めて

それを人や動物の形に描写し表現したとする

それが文房具の絵である事も確かだが

人や動物の形をしている事も確かだ

小説が建前上、無駄に長い文章にしなくてはなら無いように

絵も写真との差別化として、あえて狂った価値観を描写する文化がある


では何が現実かと言うとそれは割り切れる訳では無い

例えば

直列思考だと生物は細胞だ

並列思考だと生物は細胞の集合で特有の形に纏まった物だ


過ぎたるは及ばざるが如し

現実を突きつけ過ぎても、誤魔化し過ぎても人は狂気へ向かう

その事を自覚した上でバランスを取る事が

重要で

使う側と使われる側の都合には

理解が必要だ