ペタの哲学部屋

私ペタ(ハンネ)、が哲学を自重せずに展開していくブログです

癒しと金生水

金生水
金生水(ごんしょうすい)金属の表面には凝結により水が生じる。

 

価値が感覚(快感等)を与えるという考えについて
この修行が成功すると人は悟りを開く
映画でいう所の泣けたりジーンと感動したりする部分
人が修行する理由はこの良い水を求めているからだ

 

物事には正負があるので当然不快感になる事もある
それはともかく、まずは凝結、結露という現象を考えよう

金属の表面に結露ができるから、金が水を生む
というのは少し無理があるように思える

金属がそこにあるからといって水は出てこない
結露を発生させるには温度差が必要になる
つまり、外気と比べ金属を冷たくする事によって水が集まる

そこでまた疑問が生じる、
水が欲しいならそんな面倒な事をせずそこにある水を飲めばいいのでは?
という問題

 

日本という国は飲み水に恵まれている
なので時々飲み水の大切さを見失ってしまう
飲み水に恵まれない場所で生きる事を想像すれば
この金生水のありがたみが解るだろう

泥水や海水というのはそのまま飲むと体に悪い
なのでより良い水を飲む為に浄化せねばならない
水を浄化させようとした時、一切の金属を扱わないで
やってのけるというのは、出来るのかもしれないが難しい

日本で水道水と蒸留水のどちらがいいかという事は
水道水を飲み続けた事による人体への弊害を自覚した上で
蒸留水に変えてみると解る

水道水の飲める飲めないは地域によって変わるので一概に言えないが
私が住んでいる所の水道水は私の体と相性が悪いらしく
喉が痛くなってきたり、胸焼けをしたりして辛くなってくる
なので私はスーパーで無料の水を貰って飲んでいる

なにが言いたいのかというと、水の善し悪し
というのは、比較対象があって初めて認知できるという事

 

さてでは、良い水を得る、という事を心的な解釈に当てていこう
金(価値)から水(感覚)を生むには

物理的に金属を冷やすように、価値観を冷やせばいい

価値観を冷やす、一見意味不明だ

結論から言って、物事の価値を冷静に見ればいい


金生水を達成すると悟りを開けると先に述べた
悟りを開く人が何をしているか、を観察してみると
彼らは座禅を組んでいる

では座禅を組めばいいのかというとそうでもない
悟れる人もいれば悟れない人もいる
座禅を組んでいるのは見かけ上の問題であって
心の中がどうなっているかはその人次第だからだ
だから別に座禅が正しいとは限らないが
あれは物事を冷静に判断するためのフォーメイションといえる

悟りを開く事ができた人は、なぜ悟れたのか
その理由が、金生水
そこにある価値にまず気がつき、それを冷静に見て
いまそこにある物事の素晴らしさに気がつく状態にもっていく事に成功したからだ

その時映画を見て感動するように鳥肌が立ち心地よくなる

 

自分が今までしてきた事の価値に気がつく事
今までそこにあった環境のありがたさ
道端のタンポポの可愛らしさ
そういった物に冷静な視点で喜びを認知する事
それが良い金生水といえる

良い水(感覚)と悪い水(感覚)について
アスリートがなぜあそこまで自分を追い込むのか
それは修行によって達成感という人間が感じうる最高の快感を味わえる事を
知っているからだ

ようするに、与えられた手垢が付いてるかもしれない水をただ飲むのではなく
自分で作った水が安全で
自分なりの努力でより美味しく感じられる事を知っているから
その水を作る為に奮闘しているのだ

 

価値に火を当てている状態というのは
ヤカンに火を当ててその蒸気やお湯で何かするならいいが
目の前にある価値に火をつけ熱していると
結露が発生しないので、その物のありがたさに気がつけない事がある

 

冷静な愛を仁愛というらしいが
時として、物事を冷静で仁愛の視点、観音のような視点で見る事
その境地に達した時、ただ生きているだけで幸せに思える
そして水は分け与える事ができる
理解や水が足りない人は目の前の幸せに気がつけず
他人を不幸にしてしまう
なので当たり前の幸せを傷つけてしまわない為に
周りの人々にはこの事に気がついて貰わなければならない

私がこうやって理論を公開しているのは様々な理由があって
自己認識や達成感の為でもあるが
愚かな行動や考えで過ちや疑念が拡散しない事を願っているからでもある