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ペタの哲学部屋

私ペタ(ハンネ)、が哲学を自重せずに展開していくブログです

ドラゴンボール社会学概論

概論の部分はカッコつけてるだけです

 

さて、なぜドラゴンボールなのか
それは
人間関係において理想的状態
というか、強くなり成長していく志を持った男にとって理想的な人間関係は
ドラゴンボールの悟空のようなものでは無いか
と言う仮説を思いついたからです

 

普通、強くなる、成長する
ステータスが上がるにつれて人は孤独になる
それは社会的に出る杭は打たれ
嫉妬され、頂点に立つ者は引きずり落とされるからだ、盛者必衰とも言う

 

けれども悟空はありえないほど強さがインフレしてるのに、バキの範馬勇次郎のように孤独にならない
悟空の生き方を説明する前に
まずは社会において嫉妬や出る杭は打たれる
と言う現象を説明しよう

 

誰もが足を引っ張りあい
実力が歪められる事はよくあり
確かに不公平で腹立たしくはなる
が、何事も腹を立てては理解できない

 

結論から言うと、
それが正しいかどうかに関わらず
そう言った一見無意味な批判
抵抗、落とし入れは社会的に必要である

 

正しいのに落とされるのは確かに悔しいが
もしそんな抵抗が無かったとしたら
どうだろう
人がやってる事が正しいかどうか
と言う判断はその人と同等かそれ以上の理解力と時間が必要になる
一々それを判断していたら
何かをしている人間は勝手に先に進んでしまう
判断しようがしまいが
思考と前進に一旦待ったをかける
防波堤のようなものが社会には必要になる

 

極端な例ではガリレオ 地動説がある
彼は正しかったのに時代がそれに追いつけず
彼は処刑されてしまった
かわいそ過ぎる人物ではあるが
もしガリレオが認められていたら
現代の歯車がどの様に作用しているか解らない


もしかしたら
ガリレオが認められてしまっていては
破綻の運命をたどっていたのかもしれない

別にそんな運命にはならないにせよ
社会、と言うシステムにおいて
真偽に関わらずとりあえず叩いておく
ファイアウォールが必要でそれが用意されている

 

この事は水と水槽の関係に似ている
水槽と言う否定、批判、常識
と言うものがなければ
人は自由になりすぎてしまい
管理ができなくなる
放任し過ぎると法律が通用しない
世の中が完成してしまうのだ

 

さてようやく悟空に話しを戻そう
彼は何を隠そう
その水槽をことごく追い越していき
それなのに人望が厚く
最強クラスなのに平等な人間関係を築いている

 

現実の社会でも似た様な雰囲気を持つ人たちがいる、全てではなく比較的そんな傾向にある気がするだけだが
それは中卒で成功している人達だ

 

悟空の生き方と中卒で成功する人の生き方は似ている、その共通点はようするに
型破り、と言う事

 

悟空は幼少期、最低限の言語と武術を学び
育ての親は早くに亡くなり
野生の世界でたくましく一人で生きていた
文明を知らず、文明に頼らず
幼少期の頃からそもそも一人で生きていける位強かった

 

そこで初めてブルマと言う少女に出会う
確かこの時悟空は13、ブルマは16才位だった気がする
ここで初めて悟空は女の人間に出会い
様々なタブーとお仕置きをされながら
女性と男性のあり方を学ぶ
社会的なルールにとらわれず
とりあえず自分で実行して反省して
人付き合いを覚えた
と言うのが常識人とは根本的に異なる点だ
つまり悟空は自らが実験台になって
トライ&エラーを繰り返し
自分が幸せになれる方法を学んで
いったのである

 

そんな生きた経験と
類いまれなる強さ、勇敢さを持ち
卑屈にならずに生きてきた結果
悟空は悟空にとってもっとも
都合のいい人間関係を築けるようになった
のである

 

それに比べエリートであるベジータ
良い人間関係を中々築けなかったが
悟空と関わるようになって
今は立派なパパさんになっている

 

最終的に物凄く単純な結論になるが
良い人間関係を築くには
楽しむ事
卑屈にならない事
少しだけ反省する事
なのかもしれない

 

悟空の場合
反応のレベル、つまりあまり考えないで
卑屈にならず、少しだけ反省する
そして根本的な思想として
自分が楽しくなるにはどうすればいいか
と言う事を常識にとらわれず
自力で磨いていった倫理観で判断している

 

彼に習うには
やはり自分をよく見る事
挑戦する事
そして楽しむ為に強くなる
と言う事なのかもしれない