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ペタの哲学部屋

私ペタ(ハンネ)、が哲学を自重せずに展開していくブログです

我流と模倣、争いについて

自己哲学の面白い所は前人未到の解答に出会える事である
なれて来ると毎日のように新しい発見があり
その新しい発見という食料を求めて生きるような生活になる
私はこの快感に魅入られた哲学ジャンキーなのだと思う
そしてそんな自称哲学者になるには条件があって
それは我流で考える事だ、模倣しているだけでは前人未到の解
オリジナルにたどり着く事はできない
本を沢山読んだり真似したりしていれば
他称哲学者にはなれるかもしれないが、
肝心な本人は自分を認める事ができないかもしれない

さて、では我流と模倣について説明しよう

著作権の侵害、という概念がなぜ存在するのか考える
発明家が発明をパクられた場合、
パクられた人はされるはずだった賞賛や資金
を奪われてしまう、という社会的側面の問題と
真似される事自体が侮辱に思える
という主観的問題が発生する
なのでその事を訴える為の法律が作られた

ただし、結局の所、パクられた人が訴えなければ問題にならない
そして黙って見ているだけなら、本来オリジナルであった人間が
模倣者として認知される可能性があるし
たまたま似たような時期に同じ考えが生まれただけかもしれない

模倣と我流という概念は時としてその権利を奪い合う事になるので
争いが発生する、

なので模倣と我流を説明していくと結論としてぶつかる問題が
人はなぜ争うのか、という問題になる
争いというシステムは客観的に判断すると
集団の学習プロセスといえる
対立する考えが発生し、どちらが優れているか優劣を決め
模倣されるべき象徴、という椅子を賭けて戦う
そうやって淘汰されていく事によって文明は進化していく

そしてこの争いにもレベルが存在し
争いというのは、学習形態の一つなので
問題を解決するか、長所を伸ばす為に行う行為といえる
それがレベルの高い争いか、低い争いか
というのを見極める為には表面だけみていると解らない

争いを医療に例えて説明しよう
レベルの高い医術というのは、成功率が高く
患者への負担やリスクが少ない物の事だ
そしてレベルの低い医術は逆に成功率が低く
患者への負担やリスクが増える

つまり争いのレベルというのは
成長という目的に対するリスクリターンで決まる

大きな被害や大きなリスクがある争いというのは
錯覚しがちではあるが、事が大きくなればなるほど
争いのレベルは下がる

見かけ上の数や大きさが大きい程それが重要に思える
という根本的な本能が時として大きな過ちを犯してしまうのだ

人気がある人が偉大とは限らないし
金持ちが偉大とも限らない

なぜなら多くの道具や兵隊が無いと生きていけない
というのは、一人で生きて行ける人よりも能力が劣っていると言えるからだ

ただ、ここでいう能力
というものは見かけ上のステータスではなく
その人間がどれだけ効率良く幸せに生きられる能力があるか
という事だ

より多種多様の装備を揃えている弁慶よりも
軽やかに舞い、扇子で脛を叩いた牛若丸のほうが強い
と言える

ただし、別に弁慶が淘汰されるべき悪者でもないし
牛若丸が模倣されるべき象徴でもない

たとえば弁慶と牛若丸が学校にいて
どちらがリーダーになるべきか
そしてどちらがいじめられるべきかを考える

リーダーに選ばれるという事は
いじめの対象に選ばれる事と相対的だ

よく、いじめられる方といじめる方どちらが悪いか
という下らない話題を持ちかける人がいるが
別にそんなのどっちでもよく
いじめ、という現象その物が問題だ
集中力のある人はその集中力のせいで全体が見えなくなるのだ
そのせいで問題を解決する側でなく
一緒に争う側に入ってしまう
いじめを無くそう、という会議でいじめが発生してしまう
というなんとも下らない事になってしまう事もよくあるのではないだろうか

さてでは外側から結論を出すと
いじめられっ子がなぜいじめられるかというと
レベルの低い闘争を発生させてでも気になる何かが
その子にはあるからだ、
消化する技術がなく大きなリスクを背負ってまで何かを
得ようと集団が考え、攻撃実験、という愚かな行為に走ってしまうのだ
リーダーに仕立て上げるのも同じ考えで
集団がリーダーをその椅子に座らせるとどうなるか
という実験対象として得ればれるからリーダーはリーダーになる

ようするに、学校のいじめと
選挙と戦争は同じ問題なのだ

最後に
いじめや戦争というレベルの低い争いを
レベルの高いものにしていく事を説明する

レベルの高い医術を想像してみればいい

ガン治療を例にしよう
私は現在のガン治療がどの程度か知らないが
メスを使った手術よりも
ナノマシンが開発され、ガンをノーリスクで分解するほうが
優れているのは明らかだろう

ガン細胞を摘出するというのは
転移するリスクや、そもそも肉を切るというダメージから
避けては通れない

ガン細胞を集団における逸れ者に例えると
雑な手術というのがいじめと言える
そもそもガン細胞かどうかという判断すらできずに
実際はただ単に他より優れた筋肉かもしれない
他と差があるというだけで混乱するのがレベルの低い争いと言え
レベルの高い争い、つまり集団におけるレベルの高い学習形態
というのは、
異物を排除するのではなく
より少ないリスクで理解し、成長していくという事になる

食という避けられない争いの世界で
最も多く繁殖しているの生命は植物で
それは水と土だけという最も負担の少ない方法で
争いに勝利し、食、生きるという権利を勝ち取っている生命だからだ

多くの事が可能な代わりに本質を見失う人間と
殆ど動けないが本質的に成功している植物
は相対的であって
人間が植物から学べる事は果てしなく多く
まじめに授業を受けるよりも
よそ見をして草や空を眺める方が実は学習の本質に近い

集中するという闇と新しい事に興味を持ち
広がっていくという光
双方のバランスが重要で依存から離れ成長するためには
相反する思想両方を受け入れなくてはならない

癒しと金生水

金生水
金生水(ごんしょうすい)金属の表面には凝結により水が生じる。

 

価値が感覚(快感等)を与えるという考えについて
この修行が成功すると人は悟りを開く
映画でいう所の泣けたりジーンと感動したりする部分
人が修行する理由はこの良い水を求めているからだ

 

物事には正負があるので当然不快感になる事もある
それはともかく、まずは凝結、結露という現象を考えよう

金属の表面に結露ができるから、金が水を生む
というのは少し無理があるように思える

金属がそこにあるからといって水は出てこない
結露を発生させるには温度差が必要になる
つまり、外気と比べ金属を冷たくする事によって水が集まる

そこでまた疑問が生じる、
水が欲しいならそんな面倒な事をせずそこにある水を飲めばいいのでは?
という問題

 

日本という国は飲み水に恵まれている
なので時々飲み水の大切さを見失ってしまう
飲み水に恵まれない場所で生きる事を想像すれば
この金生水のありがたみが解るだろう

泥水や海水というのはそのまま飲むと体に悪い
なのでより良い水を飲む為に浄化せねばならない
水を浄化させようとした時、一切の金属を扱わないで
やってのけるというのは、出来るのかもしれないが難しい

日本で水道水と蒸留水のどちらがいいかという事は
水道水を飲み続けた事による人体への弊害を自覚した上で
蒸留水に変えてみると解る

水道水の飲める飲めないは地域によって変わるので一概に言えないが
私が住んでいる所の水道水は私の体と相性が悪いらしく
喉が痛くなってきたり、胸焼けをしたりして辛くなってくる
なので私はスーパーで無料の水を貰って飲んでいる

なにが言いたいのかというと、水の善し悪し
というのは、比較対象があって初めて認知できるという事

 

さてでは、良い水を得る、という事を心的な解釈に当てていこう
金(価値)から水(感覚)を生むには

物理的に金属を冷やすように、価値観を冷やせばいい

価値観を冷やす、一見意味不明だ

結論から言って、物事の価値を冷静に見ればいい


金生水を達成すると悟りを開けると先に述べた
悟りを開く人が何をしているか、を観察してみると
彼らは座禅を組んでいる

では座禅を組めばいいのかというとそうでもない
悟れる人もいれば悟れない人もいる
座禅を組んでいるのは見かけ上の問題であって
心の中がどうなっているかはその人次第だからだ
だから別に座禅が正しいとは限らないが
あれは物事を冷静に判断するためのフォーメイションといえる

悟りを開く事ができた人は、なぜ悟れたのか
その理由が、金生水
そこにある価値にまず気がつき、それを冷静に見て
いまそこにある物事の素晴らしさに気がつく状態にもっていく事に成功したからだ

その時映画を見て感動するように鳥肌が立ち心地よくなる

 

自分が今までしてきた事の価値に気がつく事
今までそこにあった環境のありがたさ
道端のタンポポの可愛らしさ
そういった物に冷静な視点で喜びを認知する事
それが良い金生水といえる

良い水(感覚)と悪い水(感覚)について
アスリートがなぜあそこまで自分を追い込むのか
それは修行によって達成感という人間が感じうる最高の快感を味わえる事を
知っているからだ

ようするに、与えられた手垢が付いてるかもしれない水をただ飲むのではなく
自分で作った水が安全で
自分なりの努力でより美味しく感じられる事を知っているから
その水を作る為に奮闘しているのだ

 

価値に火を当てている状態というのは
ヤカンに火を当ててその蒸気やお湯で何かするならいいが
目の前にある価値に火をつけ熱していると
結露が発生しないので、その物のありがたさに気がつけない事がある

 

冷静な愛を仁愛というらしいが
時として、物事を冷静で仁愛の視点、観音のような視点で見る事
その境地に達した時、ただ生きているだけで幸せに思える
そして水は分け与える事ができる
理解や水が足りない人は目の前の幸せに気がつけず
他人を不幸にしてしまう
なので当たり前の幸せを傷つけてしまわない為に
周りの人々にはこの事に気がついて貰わなければならない

私がこうやって理論を公開しているのは様々な理由があって
自己認識や達成感の為でもあるが
愚かな行動や考えで過ちや疑念が拡散しない事を願っているからでもある

腐った価値観と土生金

昨日金行の歪みについて説明したが
土生金の説明が足りていなかった

 

土(経験)が金(価値)を生むという事だが
悪い価値観というのも悪い経験から生まれてくる

 

その経験が良い悪いに限らずに
金を生み出すシステムさえ発動すれば金は手に入る

早い話、歪んだ価値観を持ってしまった金持ちの人は
過去のトラウマを消化できていないまま金持ちになった人だ

 

私はそういえば以前はとても塞ぎ込んでいて
世界なんて滅べばいいと思っていた

今となっては過去を消化したのでほぼそんな事は無いが
思い返してみればそうとうな気違いな行動をしていたし
そしてその気違いじみた行動がその時の自分にとって最善だったので
後悔はしていない
この事は長くなるので控えるが

 

トラウマ、つまり心の傷
それを抱えたまま治せずにいると、人は間違った事や
間違った考えを抱くようになる
何が間違っているかという点は自分で気がついて欲しい

ただ大抵別に間違っていなかったという場合が多い
それを認めてくれる人がいないから不安になるし
自分で理解できていないと不安になる

 

悪臭について説明しよう
腐った物からは悪臭がする
ではその悪臭は本当に悪い物なのだろうか
その悪臭の正体はブルーチーズかもしれないし
納豆かもしれない、あるいは魅力的な異性が放つフェロモンかもしれない
正体が解らないく疑念を持つから悪臭は悪臭になる

人というのは大抵愚かで幼い
解らない事だらけで不安だからそうなるのだろう
そしてそうなってしまうような世の中だからそういう愚者は多い

どういう世の中なのかという事について
この国は金を稼ぐ事を良しとしている
たしかに金はいい、欲しい物が買えるし
自分を魅力的に見せるのにこれほど都合のいい信仰はない
たしかに金はいい物だが

金を稼ぐ、というのがどういう事かというと
早い話、戦場で戦って勝つ、という事
そして戦場という場所はとても厳しい
なので騙し合いが平気で行われている
流石に知っていると思うが金を稼ぐ世界は嘘だらけなのだ

 

悪臭の正体は嘘である

口臭を例にしても、初めはなんらかの食べ物であったが
色々混在している内に雑菌が繁殖し
その雑菌の事を理解していないから悪臭になる、
試験管でその匂いを調べる分には悪臭ではなく実験にそった正しい匂いになる

例えば人を否定したがる人がいたとする
幼稚な人が否定する事が見つからない場合、最終的になんか臭いと言い出す

その人は全てが気に入らない、周りの何かが気に入らないと思っているので
他人の良くない所をいち早く見つけ悪口を言い出す
そして集団にそういう悪いムードが漂い
その正体を見つけようとし、人々が疑心暗鬼になる
頭の悪い人に限って間違った推理を初め
学校等で起きるいじめ、というのは
頭の悪い迷探偵が行った迷推理と
それに従う頭の悪い自警団達が暴走した結果だ

はやい話、そういう場所に居ると
どんな人間でも犯人に仕立て上げられてしまい
冤罪を泣き寝入りし、本当に自分が悪かったと思い込んでしまう
しかし、そんな悪臭という疑念が漂わない場所に行くと
新鮮な空気の存在を認知でき
悪いのは自分ではなかったとやっと気がつく

 

トラウマを治す事に話を戻そう
心の傷というのは体の傷と大体同じような仕組みになっている

つまり、生傷の状態では触るだけで痛むし
不衛生にしてると被れる

実際の傷を治す要領で心の傷も治る

傷が深い場合、取りあえず縫うなりして血を止めなくてはならないし
衛生を保ち包帯で包む必要がある
鬱病の人がやる気を失い、閉じこもろうとする本能は正しくて
傷を癒す為に外部の接触を断つ必要があるからだ

 

だが閉じこもりすぎるのにも問題がある
包帯を何時までも外せず、化膿してしまう事もあるし
ある程度空気にさらして、呼吸させねばならない

前回の記事で語っていた、金の城、差別の要塞、地位の鎧
というのは、デリケートな心の素肌を守るためにある
心を病んでしまう大物というのは
サイコガンダムに乗ったフォウ・ムラサメのような物で
でかい事を言ったりやったりして見せるが
中身は幼い場合が多い

 

何時までも温室で育っていると健康な野菜にはなれない
環境や自分自身の考え、価値観という部屋から抜けて
少しずつ免疫力をつける必要がある
きつくなったらまた部屋に帰って休めばいい

そしてこの、免疫をつけ、
臭いものに蓋をするのでなく受け入れる力をつける事
それが差別を無くすという事であり
多様性を認めるという事でもある

人の種類がやたらと増えているので
この、多様性を認めるというスキルは全人類に必須だ

金行の説明と世界平和(重要)

五行思想(我流)による金行(価値)の話
この話はとても重要で
できればトランプか金正恩に巡り巡って伝わればいいと思う
直接私の手に負える問題では無いが方法論は解る
彼ら金の悪夢に苦しむ殿様の心が救われれば世界は救われる

 

彼らの問題は何を隠そう金行が歪んでいる所にある
つまり、大きな金(価値)の使い方を誤ってしまっているのだ

 

金行について原始時代から順を追って説明しましょう
広い荒野に人が居たとします
人間は大して体力に恵まれていません
なのに回りには肉食獣がいて危険です
そこで一人賢い人間がいました
その人間は気まぐれで石ころを拾いました
食えるわけでもない石ころに彼はなぜか興味をしめし
尖っていると痛い事、武器に使える事に気がつきました
そしてその武器を広め、彼はその時代の神になり
やがて人々は鉱物の硬さに価値を見出し
それがお金に変わって人々の生活の一部になりました

 

次に侍の時代、刀の時代についてです
この頃には人間は大分強くなりました
そして動物を狩るだけでは飽き足らず
時として人を刀で切るようになりました
おそらくこの時代はお金よりも刀のほうが重きを置かれていたと思います
商人が一生懸命食べ物を売っても
刀で脅してしまえば食べれてしまうし
法律や警察は今ほど機能していませんでした
そんな中で人々は戦い、そして学び
武士道のなんたるか、哲学や戦闘技術を学びました

 

そんなこんなで文明は発展していき
刀が紙幣に変わったり、戦闘機やインターネットに変わったりしました

 

金行に話を戻します
この金行が表している物は
鉱物、雷、お金、です

先に述べた刀、戦闘機、電気、紙幣、 これらは金行に分類されます

これらをまとめて表現すると「価値」になります
鉱物や刀がなぜ優れているかというと
他の物と比べてそれが硬く、ぶつけた時勝つからです

金行とは、優劣を比べる行為その物です
この考えに偏り、極論を言い出すと人の体を刀で切ると死ぬので人より刀のほうが優れてる
という意味になります

 

刀ばっか集めて、兵隊を集めて
その扱い方もよく解らずに人民を苦しめた殿様は
昔から居ます、彼らは余りにも力を与えられてしまった為
自分自身を追い込んでしまい、周りの人々まで苦しめてしまった

 

今の時代も大体同じです
刀が紙幣に変わっただけです
金行が歪んでしまった人の不幸というのは

 

それをチラつかせただけで欲しいものが手に入ってしまう事
人を操れてしまう事です
金で何かを買う、刀で脅して何かを奪う
そういった行為には愛がなく、金に頼れば頼るほど
矛盾した愛に枯渇感を覚え、
とうとう殿様は幸せそうに暮す市民まで敵にしてしまうのです

 

金行の扱い、価値の扱いを間違えるというのは
人が不幸になってしまうような差別をする事です
刀で例えると、首と体は繋がっていないと生きられないのに
首のほうが優れているから切ってしまう
という考え方です

 

逆に良い扱い方というのは
刃物も金も使いようで、刃物なら料理やガーデニング
彫刻、等使い方しだいで人を幸せにでき
お金の使い方は色々ありますが、見せびらかす為でなく
もっと有意義な使い方があるはずです

 

最後に
金に関する五行の相生(そうせい)、生み出す事
相剋(そうこく)、滅ぼす事を説明します


 
土生金(どしょうごん)
鉱物・金属の多くは土の中にあり、
土を掘ることによってその金属を得ることができる。

土とは、経験と言い表せるので
エクスペリエンスマーケティングがこれにあたります
価値というのは経験から生まれ
私達が高く買っている物は物質その物より
経験です

 

金剋木(ごんこくもく)
金属製の斧や鋸は木を傷つけ、切り倒す。

木は豊かさ、あるいは人そのものを表せるので
生き物の素晴らしさを差別してしまう事や
刀で切ってしまう事に例えられます
ただし医術や料理のようにいい使い方もあります

 

火剋金(かこくごん)
火は金属を熔かす。

最終的にこれが大事です
火とは根本的欲求、情熱、愛と例える事ができ
金行の歪みを直すには
金だけに頼って一緒にくっつけてきてしまった悪い思惑、疑念、
そういった物を燃やし尽くすか
笑い飛ばし、黒煙の出ないような純粋な心の火に変える事です

心の炎が綺麗なものになれば
晴れて、歪みに歪んだ殿様の心は無邪気に笑う事ができ
戦争にならなくて済みます

ステータス、価値観、そういった差別を無くし
子供のように笑う事、馬鹿になれる事、
それが世界を救う事で
金の城、差別の要塞、地位の鎧
大きければ大きい程それを拭い去るのは難しいだろうし
今まで素肌をさらしてこなかったのだから
裏切られてしまう可能性は懸念せざるを得ない

戦地でいきなり裸になれとは言わない
けれども少しづつでも弱みを見せたり
人を傷つけないような冗談を言ったり
頭が固くなった殿様が心を開けるように
民衆は彼らの心に働きかける必要があるのかもしれない
強がってはいるが、おそらく彼ら金持ちも辛い気持ちを抱えた人間なのだろう
この世界を戦争の炎で包むのではなく
差別を溶かす火を灯していく事が大事だ

 

イメージとしてはサンボマスターとかすごくいい
彼らの炎はとても綺麗で差別に訴えかけている

静と動

行動が存在しなければ善悪も存在しない

行動には必ず摩擦が発生し

配慮の度合いで善悪が決まる

善悪全てに何らかの言い訳が可能で

その言い訳のレベルによって罪と罰が問われる


爽やかと言うのは精神的摩擦が少ない事


風は砂嵐や車に比べ人にあたえるダメージが少ない

なので行動的でありつつも配慮があり

爽やかな人は風を連想させる

風のような状態と言うのは他人を傷つけない配慮がなされた状態と言えるが

力が強いと突風になりダメージも増え

弱った人が晒されれば尚更厳しくなる


何もせずに黙っていれば摩擦は少なくなる

非行動的な人間はそれだけ誤った事をしなくなるのでその事が評価される場合がある


非行動的と言うのは突き詰めれば変化が無い事と言える

一見して忙しそうにしていてもパターンに変化が無ければ、そのパターンの枠組みで静止している事になる

石ころを眺めても動いているようには見えないが、実際は原子核の周りに電子が回っている

つまり行動的と言うのはより新しいパターンに変化する事といえ

非行動的と言うのはパターンに変化が無い事と言える


静と動、それは表裏一体で

互いが認知する為に必要な要素と言える

波乱の人生もあれば変化の無い人生もある

結局人は出来る事しか出来ないので

行動出来る事も出来ない事も誤ちでは無い

行動するにはパターンから抜ける扉を見つけ

抜け出す必要があり

留まるにはその扉を閉めておく必要がある

人生において、あらゆる扉を開いていく事が正しいか、扉を閉めて安住するのが正しいか

と言う問いに答えは無い

とにかく人生にはあらゆる扉があるが

その事に気がつきすらせずに苦しんでいるのだとしたら愚かだし

開けてはならない扉を閉めれずに苦しむのも愚かだ

結局人間は全員愚か者だが

人生の扉を開くのも閉じるのも案外難しいのでやはり人生は難しい

簡単だと思いたくなるがいつまでも簡単だと思い続ける事は出来ない


運命と選択

この記事を思いついたのは
今まで記憶のどこかで引っかかっていた
福山雅治がなぜ晩婚なのかという問題と
生きていく上で正しい選択とは何か
運命とは何か、結局何をすればいいのか
という問題が自分の中で繋がってきたからである

とりあえず、福山雅治晩婚問題から
彼は間違いなくモテる、その事は誰もが知っている
、そしてようやく結婚したら
会社を休むファンが大勢いた程、日本では影響力のある人物だった
私は最近になって「桜坂」の良さが今更解ってきたのだが

この桜坂、初めはイケメンが何ほざいてんだ
、モテモテの癖に煽ってるのか?と斜に構えていた
しかしどうやら彼はフラれた悲しみを歌っていたようだ
そして、その復讐心ややるせなさが爆発力となって
ひたすらモテる為の努力をし続け、現在に至る
というのが私の読みだ

どうもやたらとモテる割りに、これだ
という人とカップルになれなかったようで
ひたすらモテる、アピールしまくる
と空回りを続けていたのだと思う、そしてそれは
多くの人にとっての混乱や幸福を与えた

最近人気のユーチューバー
はじめ社長等も、振られた彼女を見返したいが為に発起したそうだ

そして、このモテるのに安定しない人物
周りにとっては、根こそぎターゲットを持っていかれるので
度が過ぎると迷惑でもある
なので、いい加減満足してもらう為に周りの人間が協力的になったりする
そんなこんなで、ようやく落ち着いたのではないだろうか

彼の運命を考えると、大分遠回りしている
けれども彼の選択が間違っていたか、というのは一概に言えない
おそらく目的の達成からはどんどん遠のいていったが
結果的には素晴らしい人生と言えるだろう

では、次に選択について
人生ではあらゆる瞬間に選択肢が突きつけられる
そしてその選択肢やリスクリターンは考えれば考える程増えていく

例を出そう
火の輪を潜る、という試練が目の前にあったとする
その試練に出会った人のパターンをいくつかまとめる

1 あまり考えず潜り、喝采される人
2 あまり考えず潜り、失敗し後悔する人
3 よく考えた結果潜り、喝采される人
4 よく考えた結果潜ったか、止めて、特に何も得なかった人

さて、この中には よく考えた結果後悔した人はいない
なぜなら後悔しないような選択を覚悟する、というのが
よく考える、という事だからだ
人間がなぜ失敗し、それに後悔するかというと
実行や非実行によって発生するリスクを受けれる手段を用意していなかったからだ

もちろん、たまたま上手くいく事はある
しかし、取り返しのつかない大失態を犯してしまう事もある

この、あまり考えないで大きな事をしてしまう人間
こういった人間には多くの仲間か多くの敵が出来る
そうでないと社会はおかしな事になってしまうので
集団は彼をどうにかするしかなくなるからだ
そんなこんなで、時として無謀な挑戦が許される人間がいる

この挑戦する、という行為は
脳の安全地帯、つまり傷のケアが出来る条件が多いほどしやすくなる
ようするに、命綱があるから危ない所にも行けるという事
もちろん命綱などなくとも可能だが
危険な行為を続ければ続けるほど失敗する可能性が増えるので
挑戦者は必ずリスクをケアする手段を持っている

人生をダーツに例えてみよう
もしもダーツが、必ず真ん中に命中するスポーツだったとしたら
これは競技として成り立たなくなる
狙っても当たるとは限らない
といのが競技として成立するミソであり
人はこの、上手くいくかどうか解らない事に挑戦し
成功する事を喜びとしている

だがしかし、誰もが競技にのめりこむ訳ではなく
生きていく手段は他に幾らでもある
挑戦しないで生きていく人間は火の輪潜りでいう所の4
よく考えた結果潜ったか、止めて、特に何も得なかった人
に当たる
この4の人は、失敗しない事やリスクを消化できない事、あるいは消化できる事を知っていた
なので、結果が成功にしろ、失敗にしろ
彼にとって予定調和なのでなんら変哲のない日常を過ごした事になる
そして普通の人が出来ない事をあたりまえにしていく
というのが、強くなる、という事とも取れる

人が成長するにはやはりある程度のリスクが取れる必要がある
なので強くなれば強くなる程、さらに成長を求めるなら
より強い相手、あるいはより厳しい状況を求めるようになる

よく、こんなはずではなかったと
後悔する人がいるが、あまり考えずに実行した結果であり
そしてその失敗を引きずり、
その失敗に価値を見出せていないか消化できていない証拠でもある
もし、なにかを後悔しているなら、その後悔を乗り越える
という試練を与えられている事になる

失敗する前にもし覚悟が出来ていれば
そういう試練すら乗り越える覚悟があるという事なので
失敗は失敗ではなくなり、新たな試練を買っているような事になる

最後に
この挑戦する、という行為が選択であり
条件通りに進む、というのが運命でもある
運命というのは、本人は自覚できない場合が多いが
客観的に見るとよく解る
気が合うからなんとなく、とか
そこにいたからなんとなく、というのが運命であって
火の輪の例の1か2をたどっているのがそれと言える
考える力が無いほど、1か2の運命をたどり
力がある程3か4の日常の中から
1か2の運命を探す事になる

運命にまかせっきりの人は
いつか大きな後悔をし、反省を余儀なくされ結局考えるようになり
考え、よい選択を求める人も結局
より不確定な要素を求め運を試す事になる

世の中あまり考えない人のほうが成功しているように見えるが
長い目で見ると実はそうでもなく、考える人が成功しているように見えても
実はそうでもない
不平等なようでいて、時間軸を長く見れば平等なのかもしれない
世の中の人間関係のバランスというのは上手いこと出来ている
多少適当に行動してみても、案外周りが何とかしてくれるか
時間が解決してくれたりもするので
ハメを外すというのも悪くないかもしれない

私はこれだけ語っておいて、
結局ほんのちょっとだけ勇気がわいてきましたとさ
ちゃん ちゃん

協力と闘争

人と協力すべきか、
あるいは闘争すべきか

これは意外と難しい問題だ

社交的な人であれば迷わず協力と言うかもしれないし
卑屈な人は闘争しか見えないかもしれない

やはり結論としてはどちらも重要なようだ


闘争において
仮にお互い同じような強さだった場合
相手の弱点を突いたほうが勝ちやすい

そして逆に協力の場合
相手に何らかの利点(力)を見出しているから
協力出来る 

ならば人の良い部分を褒めて
皆が協力的になればいい、と思うかもしれないが
多分事はそんなに単純ではない

アメリカと日本の関係を例に見ていこう
現代の日本はアメリカに媚びているような所があり
協力的で、アメリカの文化から良い部分を吸収していっている
、そして甘いものばかり取っていると体に悪いように
あらゆる依存や欲望も吸収してしまうというリスクを背負っている

ただ、日本にもアメリカに敵対心を持っている人達もいる
そしてそれは、当然と言える
なにせ日本は敗戦国な訳で、
その傷はそう簡単に癒えるわけではないからだ
今となってはその怨念が風化しつつあるが
よほど酷い事をされた相手に対し
両手を挙げて、媚びへつらうのが正解かと言うと
それは違う

深く考えず愛嬌を振りまいて媚びていれば上手くいく
というわけではない、なぜなら
だれにでも何処かに闇や歪みを抱えている所があるので
その歪みを許し放任し続けていると、やがて人は調子に乗り出す

こいつなら何をしても怒らない
こいつは騙されている事に気が付かない
やがて人はそのように考え出し
お互いにとってかえって悪影響になってしまう

時として守らねばならないプライド
というものが必ず存在し
その為には闘争が必要になる

人は協力しないと生きていけない
とよく言うが
逆説も存在し
人は闘争しないと生きていけない

というのは間違いないだろう

なぜ人は戦わなければ生きていけないか
という理由はとてもシンプルで
人間が捕食動物であるからに他ならない

生き物を食べるという事は
見えていないにせよ、戦いに勝って
命を奪っている事に他ならない
そしてこれは肉食動物に限らず
草食動物も同じで、食というシステムがある限り
闘争が無くなる事はない

なのでいい人生を生きる
という事は
いい戦いといい協力をする、という事と考えられる

ただしこれも、中々難しく
物事の善し悪しの判断は見る角度で変わってくるので
一概に断定できるものではない

問題になるのは、おそらく偏りと執着と考えられる
なので
戦い、協力、成長
それらの効率化が重要になる
バランスの偏りが解消でき、執着を手放せるようになれば
後は自分の心で判断する
という選択肢がようやく手に入る

現代では人対人で直接血を流す例は減っているので

それはいいが、脳対脳で不毛な戦いは多い

生きている以上犠牲が発生するのは仕方が無いが
無駄を減らす事は出来る

 

 

最後に
この、効率化に五行が応用可能で
様々なパターンが存在し
上手くいかない場合
木火土金水の何かが歪んでいる

例えば戦いでは

木 豊かさ=スピード、豊富なパターン
火 情熱= 攻めの姿勢
土 経験= データの量
金 価値= 物質本来の力、扱う道具の強さ
水 感覚= 守りの姿勢

と当てはめる事ができ、相生、相剋等
その相対関係を利用すると上手くいき 
協力するなら逆にこれらに価値を見出せばよく

成長過程の例としては

木 脳に知識がある状態→火へ
火 知識から情熱を燃やし行動的な状態→土へ
土 情熱を燃やし尽くすとよく眠れ、経験を積める→金へ
金 よく眠った後は経験が整理され、判断力が高まるので経験から価値を見出せる→水へ
水 価値を見出せればそれが快感になり、報酬系の活性化と共に脳が育まれる→木へ


このような流れが好ましいと思われる
細かい部分はその時の都合で変えればいい